Monday, April 20, 2015

3月17日、有楽町の外国人記者クラブ  藤岡 信勝

藤岡 信勝

3月17日、有楽町の外国人記者クラブで、「アメリカの歴史家19人の声明」に対抗して、「19人の日本人歴史家有志」によるマグロウヒル社への訂正勧告を、秦郁彦先生が公表しました。主要な文書は、今月末から来月初めに発売される、『WiLL』と『正論』に掲載されますが、一足先に、私のタイムラインでご紹介します。
 以下、まず、マグロウヒル社の歴史教科書の「慰安婦」と題された記述を掲載します。以前にこのタイムラインに拙訳を掲載したことがありますが、ここでは外務省の仮訳がありますので、それを使います。アンダーラインは私(藤岡)が付けたもので、問題点を参照しやすくするためです。
 次に、訂正勧告の全文を掲載します。
 私は、これによって、歴史戦をたたかう上で、大げさにいうと、太平洋のど真ん中に航空母艦を一隻配備したと同じような、言論戦の拠点ができたと考えております。
慰安婦
 戦時における女性の経験は、常に、気高いもの、力を与えるものばかりであったわけではない。日本軍は、「慰安所」ないし「慰安施設」と呼ばれる軍用売春宿で働かせるために、最大で20万人にも及ぶ14歳から20歳までの女性を、強制的に募集し、徴集し、制圧した。日本軍は、部隊に対し、天皇からの贈物であるとして、これら女性を提供した。これら女性は、朝鮮、台湾及び満州といった日本の植民地、また、フィリピン及びその他の東南アジア諸国の占領地の出身である。女性の大半は朝鮮及び中国の出身である。
 いったんこの帝国の売春サービスに強制的に組み込まれると、「慰安婦」たちは、一日あたり、20人から30人の男性の相手をさせられた。戦闘地域に配置され、これら女性はしばしば、兵隊らと同じリスクに直面し、多くが戦争犠牲者となった。他の者も、逃亡を企てたり、性病にかかったりした場合には、日本の兵士によって殺害された。戦争の終結に際し、この活動をもみ消すために、多数の慰安婦が殺害された。日本兵のための慰安所の設置の背景には、中国人女性に対する大量強姦の発生した南京の恐怖があった。そのような残虐行為の発生を回避するために、日本軍は別の戦争の恐怖を生み出した。戦争を生き延びた慰安婦たちは、深い恥辱を経験し、過去を隠したり、または、家族から絶縁を受けたりした。彼女らは、戦後も、慰安や平静を得ることはほとんどなかった。(外務省仮訳)
    McGraw-Hill社への訂正勧告
                              2015年3月17日
        19人の日本人歴史家有志
     
前 文
 2015年2月11日の産経新聞は、米国の公立高校等で使われている世界史の教科書に、旧日本軍による慰安婦強制連行など事実と異なる記述がある問題で、昨年11月と12月に日本の外務省が出版元のマグロウヒル社と執筆者のジーグラー教授(ハワイ大学)に訂正を申し入れたことを報道した。2月7日の東亜日報、2月10日のワシントン・ポストも同様の記事を掲載した。
 それが契機となって、1月2日の全米歴史学会の年次大会にさいし、19人の歴史家有志が、アレクシス・ダデン教授(コネティカット大学)がとりまとめ役で、吉見義明教授に代表される「日本の歴史家たちと連帯」して、出版社と執筆者を日本政府の「検閲」から守ろうと呼びかける声明を作成、学会の月報3月号(3月2日発行)に掲載された(別添資料1参照)。
 われわれは外務省が申し入れた内容は知らされていないが、マグロウヒル社の教科書『伝統と遭遇』の第5版853ページで「慰安婦」と題した記述を検分すると、多くの不適切な箇所を発見した。とりあえず、下記のような8箇所の事実誤認部分(①~⑧)に限定して、理由を付し、マグロウヒル社が自発的に是正されるよう勧告するものである。
教科書のコラムのテキスト
 以下に、マグロウヒル社の教科書の書誌情報と、コラム「慰安婦」の全文を掲載する。続いて、文中に①から⑧まで下線を引いた箇所について、コメントで問題点を指摘した
J.H.Bentley and Herbert F.Ziegler, Traditions & Encounters: A Global Perspective on the Past, McGraw-Hill, 2011, p.853.
Comfort Women Women's experiences in war were not always ennobling or empowering. The Japanese army ①forcibly recruited, conscripted, and dragooned ②as many as two hundred thousand women ③age fourteen to twenty to serve in military brothels, called "comfort houses" or "consolation centers". The army presented the women to the troops ④as a gift from the emperor, and the women came from Japanese colonies such as Korea, Taiwan, and Manchuria and from occupied territories in the Philippines and elsewhere in southeast Asia. The ⑤majority of the women came from Korea and China.
  Once forced into this imperial prostitution service, the "comfort women" catered to ⑥between twenty and thirty men each day. Stationed in war zones, the women often confronted ⑦the same risks as soldiers, and many became casualties of war. Others were killed by Japanese soldiers, especially if they tried to escape or contracted venereal diseases. At the end of the war, soldiers
⑧massacred large numbers of comfort women to cover up the operation. The impetus behind the establishment of comfort houses for Japanese soldiers came from the horrors of Nanjing, where the mass rape of Chinese women had taken place. In trying to avoid such atrocities, the Japanese army created another horror of war. Comfort women who survived the war experienced deep shame and hid their past or faced shunning by their families. They found little comfort or peace after the war.
コメント
① forcibly recruited, conscripted 19人の米歴史家の声明で、連帯する日本の歴史家たちの中でただ一人実名で言及されている吉見義明は、著書の中で、慰安婦のうちの「最多は(コリアン・ブローカーに)だまされて(deceived)」慰安婦になった、と記している(Yoshimi Yoshiaki, Comfort Women, Columbia University Press, 2000, p.103)。
吉見は日本のテレビの討論番組でも、「朝鮮半島における強制連行の証拠はない」と述べている。
 朝鮮半島における慰安婦の調達では、当事者の多くは朝鮮人が占めており、関係者の相互関係の全体像は、次の模式図で表される。
Japanese Local Troop
|←  contract  → | |
  Parent → Broker → Brothel Owner or Pimp   ←-→ Comfort Station
(Korean) (Korean) (Korean and Japanese) contract |
| ↗ Soldier
Daughter (Japanese and Korean)
② as many as two hundred thousand women この数字は過大すぎる。秦郁彦は⑤で示したように、約2万と推計、吉見義明は「最低でも5万人前後」(『歴史学研究』845号、2008年、p.4)と記述している。また、⑥の解説をも参照せよ。
③ age fourteen to twenty 1945年フィリピンで米軍の捕虜になった慰安婦20人(日本人11,朝鮮人6,台湾人3)の調査カードによると、うち19人が20歳以上である。(US National Archives, RG 389-PMG)。twenty は twenties と修正すべきである。
 ④ as a gift from the emperor 教科書としては、国家元首(national head)に対する、あまりに非礼な(too impolite)表現である。
 
 ⑤ majority of the women came from Korea and China 秦の推計では、全慰安婦数は約2万人で、そのうち最も多数を占めるのは日本人の約8000人、朝鮮人はその半数の約4000人、Chinese and others は約8000人であった。
⑥ between twenty and thirty men each day ②と⑥は、きわめて誇大な数字であり、自己矛盾(self-contradiction)の関係にある。「20万人の慰安婦」(②)が「毎日20人~30人の男性を相手にした」(⑥)とすれば、日本軍は毎日400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。他方、1943年の日本陸軍のoverseas兵力(strength)は約100万であった。教科書に従えば、彼らは全員が「毎日、4回~6回」慰安所にかよったことになる。戦闘する暇も、まともに生活する暇さえもなくなる。
⑦ the same risks as soldiers 慰安婦と看護婦は戦闘地域ではない後方の安全な場所で勤務していた。前線 front line で兵を慰安婦の護衛に割く余裕はなかった。
 ⑧ massacred large numbers of comfort women 根拠史料は何なのか。もしそういうことがあれば、東京裁判や各地のBC級軍事裁判で裁かれているはずであるが、そういう記録はない。何人を、いつ、どこで殺害したか、証拠がなければ教科書に書くことは適切でない。秦は、慰安婦の死亡率を日赤看護婦(26,295人)の死亡率4.2%とほぼ同じと推定した。(秦『慰安婦と戦場の性』p406)
19人の日本人歴史家有志
秦 郁彦 Ikuhiko HATA 日本大学

明石 陽至 Yohji AKASHI 南山大学
麻田 貞雄 Sadao ASADA 同志社大学
鄭 大均 Daekyun CHUNG 首都大学東京
藤岡 信勝 Nobukatsu FUJIOKA 拓殖大学
古田 博司 Hiroshi FURUTA 筑波大学
芳賀  徹 Tohru HAGA 東京大学
長谷川三千子 Michiko HASEGAWA 埼玉大学
平川 祐弘 Sukehiro HIRAKAWA 東京大学
百地 章 Akira MOMOCHI 日本大学
中西 輝政 Terumasa NAKANISHI 京都大学
西岡  力 Tsutomu NISHIOKA 東京基督教大学
呉  善花 Sonfa OH 拓殖大学
大原 康男 Yasuo OHHARA 国学院大学
酒井 信彦 Nobuhiko SAKAI 東京大学
島田 洋一 Yohichi SHIMADA 福井県立大学
高橋 久志 Hisashi TAKAHASHI 上智大学
高橋 史朗 Shiroh TAKAHASHI 明星大学
山下 英次 Eiji YAMASHITA 大阪市立大学
*名前の順番は、ファミリーネームの英語表記のアルファベット順とした。


3 comments:

Anonymous said...

フォーブスの記事です。気持ち悪い。
http://www.forbes.com/sites/eamonnfingleton/2015/04/19/dissing-comfort-women-and-other-war-victims-boehner-panders-to-japans-most-toxic-prime-minister/

Anonymous said...


この人物の名前の下に
A sharp eye on media bias, official propagannda and globaloney, とあるのが笑えます。
どこかの国のプロパガンダ拡散に一役買っていることに気づかない”ジャーナリスト”が多すぎる!

Anonymous said...

Eamonn Fingleton
30年近く日本に住み、まともな経済記事を書いていた人物が、今になってなぜ安倍首相への憎悪をむき出しにするのか、なぜ慰安婦像の設置に反対する日系人の邪魔をするのか、理由は何でしょうね?中国から金を貰ったのか、朝日の社是の「安倍潰し」に貢献したいのか、メディアの注目を浴びたいのか...。

日本はよい国ですね。国家元首に言いたい放題でも名誉棄損で訴えられたり出国禁止になったりしないから(笑。