戦争においてさえ、戦闘は予期しない形で訪れる。
月曜に、モスル西部で作戦従事中に、無線で声がとどき、我々の兄弟部隊である3-21がチグリス川の反対側にあたるモスル東部で敵と交戦中との連絡が入った。その直後に、ウィル・ショックリー二等軍曹が米兵一人死亡という報告を我々にもたらした。我々はチグリス川の自陣側にいるはずの敵方射撃手を探し始めたが、すでに逃亡していた。ホセ・L・ルイスが戦死した。
モスルの状況は改善しているが、我々の部隊は今も毎日戦い続けている。今回の戦争は数年前に皆が思っていたような戦争とは異なるものかも知れない。だがいざ砲撃が始まると、事前の計画など単なる役立たずの正装に過ぎなくなる。
私が実際に目撃した中で事前の予定通りにほぼ進んだ唯一の作戦は数か月前にB中隊が襲撃したものだけだ。あのときだけは、信じられないほどほぼ完ぺきに予定通り進んだ。この作戦における唯一の瑕疵は射撃手が即席爆破装置を撃ったときだけだったが、誰も負傷しなかったので、我々はそのまま作戦を続行した。今振り返ると、なぜあのときのことを私は書かなかったのだろう。だが当時は多忙で、それ以外は全てほぼ完ぺきに予定通り進んだので、昔からよくある戦場の一コマとしか思えなかったのだ。
私はマット・マクグルー大尉と「モスルIVにおける戦い」の取材について話し込み、彼と一晩を共にしてさらに戦闘の実相を掴むために戦場におけるイラク軍の姿を見届けようとしていたが、モスルで続く戦闘のため、なかなかそれが実現しそうになかった。予定していた同行取材の前夜に、突如「緊急作戦」が決行されることとなり、取材に対する障害があまりにも大きなことが明るみになった。「槍騎兵の憤激」作戦は現場の部隊指揮官にさえ知らされないまま決行された。
先週私が「槍騎兵の憤激」に関する「警告命令」(作戦決行が間近という知らせ)を受けた時、この計画は現場から遠く離れた上層部が作ったものにもかかわらず、デュース・フォーの指揮官が真の実力を発揮できるように綿密に考案されていた。私が目にしてきた全ての軍の部隊において、水が丘の上から流れ降りてくるように名案は上層部から降りてくるものだという考えが染みついていたので、「槍騎兵の憤激」は明らかに起死回生の名案だったのだ。
「動揺」作戦の一環として、槍騎兵の憤激は一種のワニ狩りのようなもので、人間がまずワニをおびき出し、予定の方向に誘い込むか、何らかの行動をさせるためのものであった。そして彼らが行うことを、我々が暴き出す。「動揺」のうち戦闘の部分は洗練された「待ち伏せ」となっており、約一週間の期間が見込まれていた。
この動揺作戦は複雑な仕組みとなっており、複数の側面と複数の動作が組み合わさったものである。複数の側面とは文字通り地に足がついたブーツから頭上はるか上空を飛ぶ人工衛星まで含まれる。よって、当たり前のことだがつまづきやひっかかりが初日から多々発生した。主要装備の故障は、そのほんの一つにすぎない。だが、全体的に動揺作戦は順調に進んだ。最初の24時間ですでに数人のテロリストを拘束することができた。
木曜夜に、修正案に基づいてデュース・フォーの兵士たちが深夜24時前後に急襲をかけることになり、私はそれを追うことになった。各自がナイトビジョンを持っていた。よって動きは迅速だった。私が頼れるのは月明かりだけで、危うく足を骨折してしまうところだった。月明かりだけでモスルを動き回ることにより、我々は農家近くにある池にたどり着くまで青白い光をたよりにさまよった。諜報小隊が一軒の家に急襲をかけて数人の容疑者の身柄を確保し、再び闇にまぎれて近くの目的地を目指していった。
一人のイラク人男性がAK-47を小脇に抱えてある農家から出てきたとき、諜報の兵士五人―ホルト、ファーガソン、イェーツ、ウェルチ、そしてロス―は月明かりに照らされながら移動していた。突如として四人の兵士のライフル、光、レーザーに取り囲まれ、男は手早く武装解除された。五人目の兵士が無線で通訳者を呼び出し、この男は百姓で兵士たちは自分の畑を荒らそうとする泥棒だと思っていたということを聞き出した。諜報部員は男にライフルを返還し、再び無言のまま元来た道を戻り始めた。
平野の片隅にある木陰で小休止している間に、私はデュース・フォー大隊指揮官であるクリーヤ中佐が物静かに農民を誤射しなかった一人の兵士の自制心を称える声を又聞きした。ストライカーにその他の被疑者を載せたあと、我々は基地に戻り、そこで疲れ果てた私は金曜日の午前三時ごろから爆睡した。
私が寝ていた間にも、動揺作戦は続いていた。
アルファ・カンパニーは早い時間に出動してしまっており、ヤルムーク・トラフィック・サークル近辺で作戦に従事していた。誰からも好かれ、尊敬もされているダニエル・ラマ軍曹は、一発の銃弾に首を撃ち抜かれた時、彼はストライカー車内で空からの攻撃に備えて防御の態勢に入っていたが、ストライカーに倒れ込みながら、彼の体には発作が起こり、指が固まり、腕と脚が硬直していた。
私がイラクで手紙を受け取ることはほとんどなかったが、眠っている間に郵便局で私の受け取りを待っていたのは一枚の封書だった。米国旗が描かれている返信先の住所ステッカーを見ると、ペンシルバニア州ジェファーソンであった。切手の中で米国国旗がはためいている。中を開けてみるとカバーに米国旗が描かれている。中のカードに書かれた心温まるメッセージは次の言葉で締めくくられていた-
兵士の皆さんに私たちがどれほどあなたがたのことを気にかけているか伝えてください。
-ダン&コニー・ラマ
医療班が彼らの息子ダニエルを野戦病院(コンバット・サポート・ホスピタル、通称Cash)に運び込んだ時、まだ私は半分寝ていた。ここは今回の戦争において最も緊迫し、継続している市街戦を引き受けて150個以上のパープル・ハート勲章を受け取っているデュース・フォーの面々にとっては行きつけの場所のようなものだ。
ドンドンドン!と私の部屋のドアを叩く音がした。すぐに反応した私の前に立つのはデュース・フォーのトップであるロバート・プロッサー司令上級曹長だった。プロッサーは常に本物のプロであり、常に単刀直入だった。「ラマ軍曹が銃撃された。我々は十分後に集合する」そう言った。
「私も十分でそちらに行きます。」そう答えた私はすぐに目覚めた。
数分のうちに、私は部屋から飛び出し、まだファスナーやチャックを締めながらだったが、汗だくになりつつ戦術作戦センターに駆け込んだ。クリーヤ中佐がそこにいて、一人の兵士に現在手術中のラマ曹長に関する最新報告を聞き出していた。
兵士が戦死または負傷した時には、陸軍当局が家族・配偶者に電話を入れるわけだが、どれほど同情的であったとしても、連絡内容の性格上家族に対して大きな衝撃を与えざるを得ない。「お宅の息子さんが銃撃されました」を気軽に伝える方法は存在しない。よって、ここにいる男たちの話によると、この報告の電話は次のような文面になるらしい。「我々としてはこのお知らせを伝えることを残念に思っておりますが、あなたの息子さんがモスルで銃撃されました。彼の容態は安定しておりますが、現時点で伝えられるのはそれだけであります。」
クリーヤ中佐は軍が務めを果たす前に両親または配偶者に電話を入れ、本当の状況をそまま伝えることを好む。クリーヤは率直であり、少なくとも相手は正確な情報を入手できるのだ。
我々はストライカーに乗り込んで野戦病院をめざし、そこには基地で一番の人気者であろうウィルソン司祭がいた。誰もが司祭のことを愛している。ウィルソン司祭は私とほとんどの時は「マイケル、おはよう。今日の気分はどうだい?」と声をかけてくれる。だが時として「大丈夫か?」と聞いてくることもある。そして私は「オレ、疲れているように見えるのかな?」と思うのだ。
「もちろん絶好調ですよ、ウィルソン司祭!私が調子悪そうに見えますか?」
すると司祭は笑い出し、「ああ、マイケル、調子よさそうに見えるよ。ただ確かめたかっただけなんだ」と言う。だが、実のところ、司祭がそう聞いてくれるたびに、私の気分がよくなっているという側面もあったのだ。
ウィルソン司祭は笑顔で病院から出てきてダニエル(ラマ曹長)は無事だと説明してくれた。あの発作は首を撃たれたときのごく自然な反応とのことだった。怪我したのはあくまでも筋肉だけだった。それを証明して見せるかのように、ウィルソン司祭はこう言った。「ダニエルをこの病院に運び込んだ時、医師が状態を確かめるために指でダニエルの尻に触れたんだ。そしたら、ダニエルが“おい、何してやがるんだ?”と叫んだよ。」これを聞いて皆が笑った。
クリーヤ中佐が衛星電話でラマ夫人と話している間に私はプロッサー司令上級曹長の写真を撮影することによって話題を変えた。私はこの指揮官が負傷した兵士の母親に対して息子さんは無事だと伝える声を聞いた。ダニエルは多少の軽傷こそ負っているものの深刻な被害は皆無だった。クリーヤは母親に対して自分と何人かの兵士たちが病院でダニエルに付き添っていると伝えた。ただまだダニエルは話せる状態ではない。「ダニエルは大丈夫ですよ。本当です。ですから、軍から電話が入るたびにそれほど心配しなくていいですよ。」
我々はストライカーに乗り込み、ダウンタウンを目指した。
一部のストライカーは射撃手を探し回り、その他のものはヤルムーク・トラフィック・サークルの探索にあたっていた。アラスカ出身の歩兵1-17部隊のクレイグ・トリスカリ少佐が屋根を上げられた車の存在に気づいた時、彼はマイク・ローレンス少佐およびその他の兵士たちと一緒にいた。1-17部隊は間もなく1-24部隊の救援に当たるところで、トリスカリはデュース・フォーと共に作戦従事していた。トリスカリにはこの車両が不審なものに見えた。わずか数分前にはいなかった車ではないか。
少なくとも二方向から自動小銃が火を吹いた。銃弾が土ぼこりを蹴りあげ、我々はヤルムーク・トラフィック・サークルで交戦状態にあるという無線連絡を受けた。クリーヤ中佐と私はストライカー内部に座り、そこに二人の新顔がいた。イラク入りしてわずか三週間で、まだ一度も実戦に遭遇していなかった若手の少尉がいた。そして、もう一人はデュース・フォーの兵士の中では数少ない歴戦のベテランではない若手のスペシャリストだった。またストライカー内には「AH」という戦場にて私の目の前で本物の勇気を見せたことがある通訳者がいた。だがそこに数々の戦闘を潜り抜けてきた戦士たちはそこにはいなかった。
指揮官の無線オペレーターを務めるクリス・エスピンドラは、周囲の敬意を集める経験豊富なファイターであり、この時はバグダッドで開かれたイラク犯罪法廷にて数か月前にデュース・フォーが身柄拘束した二人のテロリストに対しての証人となっていた。郵便局に届いた手紙のように、この身柄拘束の裏にある実態は他の誰が想像していたよりもはるかに密接につながっていた。
クリーヤがライターを含め、デュース・フォーから見た部外者を兵士たちに同行させたがらないことは広く知られていた。部分的にはライターのせいなのだが、デュース・フォーについてニュースで聞いた人たちにとって、モスルは一種のジェットコースターのようなもので、ほんの何度かヘアピンの向きが変わった後は万事無事な場所だと考えられていた。それは事実ではない。
このレベルの敵意にさらされたことがない新顔たちは、兵士たちも含めまずは危険に慣れなければならない。よってクリーヤは新顔の下士官たちを信頼に足るようになるまで指導して、実際に兵士たちを率いて部隊の指揮官を任せられるまで三週間彼と共に時間を過ごすことを必須としている。
この数か月前のことだが、ブライアン・フリンという名の新任中尉が最初の三週間クリーヤに同行していたが、そのときにクリーヤがその一週間前にマーク・ビーガー少佐とストライカーが自動車爆弾で襲われた場所の近くを歩く三人の男たちを目に留めた。人間に対する直感が優れ、兵士たちから「デュースの第六感」と呼ばれているクリーヤの目には、三人の男たちが疑わしい存在に見えたらしい。彼の人間と状況に対する読みは異様なほどであった。
あの日、クリーヤは何らかの「違和感」覚え兵士たちに三人の男をチェックするよう命じた。ストライカーからスロープを降ろすと、テロリストの一人がシャツの中から一丁のピストルを引っ張り出した。マーク・ビーガーはもう一台のストライカーから最初の銃弾二発で一人が倒され、膝から崩れていく場面を見ていた。
ストライカーから出てきた最初にでてきたのはフリン中尉で、彼とエアガードのウェストファル大尉の両方が同時にピストルを見て、発砲した。もう一人の被疑者が走って逃げ始めた。だがクリーヤが見たのはフリン中尉がスロープを降り、そこで多々の銃撃があったところだけだった。クリーヤはフリーーーーーーン!‼!と叫び、フリンが発砲するのを止めそうな勢いだったが、新任中尉はまともな判断力を失い、連合軍から逃げるだけの男を撃っているのかと考えていた。兵士というものはただ走っているだけの者を撃つことはできないのだ。
クリス・エスピンドラもまた男を撃った。驚くべきは、複数の方向から四丁のM4で撃たれたにもかかわらず、男はまだ数分間生き延びたということだ。兵士たちは追いかけて、逃亡していた男を二人がかりで抑え込んだ。
基地における尋問の間に、二人とも自らがジハーディストであることを認めた。一人は狙撃手(スナイパー)になるよう養成され、もう一人は別の戦闘任務に当たるよう訓練されていた。二人はまた銃撃されたテロリストは自分たちの軍事班リーダーであり、三か月にわたり男の下で訓練を受けたことを認めた。クリーヤが危険を直感した時、この男たちは対米軍の秘密情報収集を行っていた。
この軍事班リーダーはポケットの中に血染めの「遺書」を入れており、そこには自分が真のムジャヒディンであり、アメリカ人と戦って死にたいと記してあった。そして彼の願いは叶った。そして今、クリーヤの無線担当であるクリス・エスピンドラはバグダッドにいて二人の生き残った共犯に対する証言をしていた。このような自白を引き出しながらも、クリーヤは発砲する時間さえほとんど与えられなかった若い無線オペレーターから取り残された。
フリンは今や六か月にわたって小隊長を務めていたが、今日クリーヤは小隊長になる前に指導を受けていたもう一人の少尉を連れていた。我々のストライカーには私がクリーヤ中佐と共に出会った通常の戦闘要員がいなかったが、アルファ・カンパニーからやってきた二組の歩兵集団がストライカーに乗っていた。この分隊はコンコル二等軍曹に率いられていた。
我々はこの地域でクリーヤが黒のオペルに乗り込んだ三人の男たちに目を留め、第六感が働いた瞬間にあの自動小銃が発射された地点を探索していた。クリーヤがこの男たちを標的にしたとき、彼はライフルを車に向けて三人に車から出ることを命じた。運転手は首をすくめて、エンジンを入れた。そこからカーチェイスが始まった。
ストライカーは俊敏だが、オペルはさらに速い。我々は小さな通りに入って大音声をあげつつ、ライトを照らし、車を通りの脇にこすらせながらストライカー内部では複数の無線がぶつかり合った。一台のキオワヘリコプターに搭乗するパイロットが無線で車の場所を特定したと知らせてきた。追跡を続けていると、パイロットが言った。「あちらは時速105マイル(約170㎞)で走っている」
「なんでパイロットに時速105マイルなんてわかるんだ?」そう私は考えた。
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