Sunday, August 30, 2015

アジア解放者としての日本

アジア解放者としての日本

昨晩私はインドネシアのジャカルタから、此所タイのカンチャナブリ(クワイ川鉄橋のある町)に到着した。慰安婦問題について調査するためである。そして今朝鉄道建設という側面から同じ研究を志すタイ人の研究者にお会いした。(昨晩私はカンチャナバル上空を日本の国旗をつけた飛行機が飛んでいくのをみた、これは偶然かもしれないが興味深いことであった)

昨日私は米国がインドネシアの独立を後押ししたと発表したが、それに対してネットあるいはネット以外でも多くの反論が寄せられた。彼らの多くは米国がインドンシアの独立を助けたなどと言うのは嘘であると言う。しかし、それは違う。実際に米国はインドネシアの独立を支援したのである。これは本当である。

日本という国はその短い帝国主義国家としての歴史について多くの批判に曝されてきた。しかし、真実はそれほど単純なものではない。是非以下に述べる拙文を読んでほしい。これは私がジャカルタのインドネシア戦争博物館で見聞きしたものである。

欧米植民地主義はアジアのみならず、世界の殆どを覆い尽くしていた。

第2次大戦以前、すでに米国は日本を攻撃していた。それはシナ大陸における米国フライングタイガーズ航空隊の存在であったり、ABCD包囲網と呼ばれる、対日経済封鎖であったりした。当初日本は協議によって解決する道を探っていたが、最終的に決定的かつ壊滅的なる解決策に打って出た。それは3世紀にわたってインドネシアを暴虐的に支配してきたオランダを殲滅せしめたことである。もちろん、真珠湾その他への攻撃もその決定的かつ壊滅的解決策に含まれることは言うまでもない。インドネシアを占領した日本軍は、それ以前にオランダがインドネシア人に与えてきた蔑みをそのままオランダ人に与えた。

日本軍はインドネシア住民に対して、彼らを支配してきたオランダ人は神なる存在などではないとして、現地人の前でオランダ人を罵倒し辱めた。

日本軍はアジア人が欧米人に対して抱いていた劣等感を払拭せしめた。それは、インドネシアのみならずアジア全域においても行われた。もちろん、クワイ川鉄道工事に使役され死んだ連合軍兵士達の大きな墓所がある、ここカンチャンブリでも同じである。(その墓所については数年前に私が詳細にわたって紹介している)
日本軍はしばしば戦争捕虜を虐待したことで有名である。ここカンチャンブリでも私が今年初めに調査したフィリピンのバターンでもそうであった。その捕虜虐待の中心となった看守達は当時日本軍として勤務していた韓国兵であったと言うことも付け加えておく。

インドネシアを占領した日本軍はインドネシア独立のための準備を始めた。

例えば、オランダは現地人を劣等民族として扱い、言語も団結を妨げるため各地各民族の方言を話すよう要求していたが、日本軍は現地人を自分たちと同じように平等に扱い、民族としての統一性を確保するため単一の言語に統一するよう努力を促した。もちろん言語の統一性は軍事作戦上も要求されることでもあるのだが。
最も重要なこと、それは日本軍がインドネシア人に自信を植え付けたことである。もちろんそれはオランダ人がもっとも忌み嫌ったことでもあるのだが。

さらに日本軍はインドネシア人に対し組織的戦闘法をも訓練した。
原爆投下によって戦争が終結した後、アジア各地の日本軍に対しては本国より連合軍への降伏命令が伝えられ、多くの将兵はそれに従った。しかし、少数の日本兵はその後何十年もアジア各地で戦い続けた。
インドネシアでは多くの日本兵が本国からの降伏命令に従わず復員をも拒否した。彼らはインドネシア独立戦争に参加するため残留したのである。(他にも理由はあったであろうが、それは些少である)

そしてそこに米国が登場する。
欧州では連合軍がオランダを侵略していたドイツを打ち負かしたが、その戦争の結果、欧州と日本は疲弊した。
それに対し米国はマーシャルプランを立案し、疲弊した欧州の復興に乗り出した。もちろんその計画にはオランダの復興も含まれていたのであるが、
オランダはその帝国主義領土(植民地)の復活を望み、インドネシアの再植民地化を目指してインドネシア現地独立軍との戦争を開始していた。そこで米国はオランダに対し、インドネシアの再植民地化を諦めないなら、マーシャルプランによる援助を凍結すると脅した。その結果、オランダは再植民地化を諦めざるを得なくなったのである。

日本軍が独立成功への条件を整備した。

日本軍がいなければ、インドネシアはオランダに隷属し続けたであろう。現在、インドネシアで日本は多くの尊敬と信用を得ている。

今日、インドネシア人は自信に満ちあふれている。何故なら彼らは自ら戦い自由を得たからだ。そして米国はささやかながらもその独立の力添えをした。
日本軍がアジアにおける欧米植民地主義に終止符を打たせたと言うこと、この歴史的事実に疑いの余地はない。
独立後、インドネシアは独自の帝国主義は開始したともとれるが、しかしそれにより無実の犠牲者が発生したとか、完璧に邪悪なる指導者が現れたという話も聞かない。

私は何度もインドネシアを訪問したが、嫌な思いをしたことなど一度もないし、インドネシアの人々はいつも好意的で、欧米人と話すことを嫌がらずに会話を楽しんでくれる。これが今日私が言えることである。

 おっと、もう午前9時15分になってしまった。私は10時にタイ人の著述家に会わなくてはならない。この文章を閉めるときがきたようだ。それでは皆さんよい日をお迎えください。

Blogger 塾長 さんは書きました...
マイケル ヨンがついに”アジア解放論”へ舵を切りました。マイケルの昨日のブログより引用します。私の翻訳です。

マイケルのフェース ブックに何度も戦勝解放論の英訳論文を投稿してきましたが、その甲斐があったようです。よかったよかった。

米国もインドネシア独立に一役買ったという話は米国人たるマイケルの”我田引水”過ぎる気もするが、そうでも書かないと米国保守派が納得しないから致し方なかろう。

いずれにしても

ありがとう、Arigatou Michael!
<< 管理人より塾長さんへ:ありがとうございます。

comment on the FB> 「カンチャナバル」ではなく、「カンチャナブリ」ですね。
カンチャナブリと修正いたしました。
Japanese as Liberators in Asia
Last night we arrived from Jakarta, Indonesia to Kanchanaburi, Thailand to continue research on comfort woman issue. 
This morning we will meet with a Thai professor and author who happened to research this issue for a book about railways. (Interestingly, I saw a Japanese flag flying in Kanchanaburi last night.)
Yesterday I published that the United States helped Indonesia obtain independence after World War II. This was met with criticism on and offline. Many people said it is not true. It is true. My words were accurate. 
Japan is widely criticized for its brief Imperial history. The reality is not so simple. Please take a look at the images below, which I made in a war museum in Jakarta. 
Western imperialism blanketed Asia and indeed much of the world. 
Before World War II, we were actively attacking Japan with, for instance, the Flying Tigers, and we were trying to strangle Japanese with the ABCD. (Americans, British, Canadians, Dutch.)
Japan tried to negotiate but finally lashed out with devastating consequences, for instance by veritably crushing the Dutch who and brutally occupied Indonesia for more than three centuries, not to mention Pearl Harbor and more.
Down in Indonesia, the Japanese publicly treated the Dutch the way the Dutch had treated the locals. 
Japanese humiliated and shamed the Dutch publicly to show locals that they were not Gods. 
Japanese broke the myth of Asian inferiority, and they did similar in other places, such as here in Kanchanaburi, site of a very large allied cemetery (which I photographed in great detail some years ago and published online), and "Bridge over River Kwai," which is a short walk from where I write these words.
Japanese were often harsh with prisoners, such as here in Kanchanaburi and over in Bataan, Philippines, where I researched earlier this year. Many of the prison guards actually were Koreans in the Japanese Army, but I digress.
Down in Indonesia, Japanese were setting conditions for Indonesian independence. 
Example: Dutch treated the locals as inferior people and wanted them to speak their local languages. Japanese treated them as equals (though recruited many in the war effort) and encouraged them to speak one language so that they could unite. 
Most importantly, Japanese taught confidence to the Indonesians. The Dutch did not like this.
Japanese also trained Indonesians how to fight and organize. 
After the atomic bombs the war was over and Japanese were ordered from home to surrender, which mostly they did, though some fought on for decades in different places. 
In Indonesia, many Japanese disobeyed orders and did not return back to Japan. They stayed to fight alongside Indonesians for their independence. (There is more to the story but this is it in a nutshell.)
This is where America comes in: Of course Nazi Germany had also invaded Netherlands which we helped liberate, and the allies defeated the Germans. Europe and Japan were shattered. 
The United States then wisely implemented the Marshall Plan to rebuild. 
Meanwhile, Netherlands wanted its imperial space back, and began to move to retake Indonesia. The United States threatened to cut reconstruction aid to Netherlands if the Dutch retook Indonesia.
The Dutch backed off. 
Japan had set the conditions for success. 
Without Japan, Indonesia would have remained a Dutch slave state. Japanese deserve the bulk of the credit and are today revered in Indonesia. 
Indonesians deserve much self-credit because they fought hard for their freedom, and the United States deserves a little credit for helping to seal the situation. There is no doubt that Japanese started a cascade which smashed western imperialism in Asia.
But then Indonesia began its own imperialism. There are no innocent victims in all this, and nobody was perfectly evil.
I can say this about today: In my numerous trips to Indonesia, I never had a bad day. Indonesian people have been extremely likable and they love to talk with westerners, and they are fun to talk with. 
And now it is 0915 here, and we must meet the Thai author at 1000, and so it is time to close. Have a great day.









10 comments:

Anonymous said...

マイケル ヨンがついに”アジア解放論”へ舵を切りました。マイケルの昨日のブログより引用します。私の翻訳です。

マイケルのフェース ブックに何度も戦勝解放論の英訳論文を投稿してきましたが、その甲斐があったようです。よかったよかった。

米国もインドネシア独立に一役買ったという話は米国人たるマイケルの”我田引水”過ぎる気もするが、そうでも書かないと米国保守派が納得しないから致し方なかろう。

いずれにしても

ありがとう、Arigatou Michael!




アジア解放者としての日本



昨晩私はインドネシアのジャカルタから、此所タイのカンチャナバル(クワイ川鉄橋のある町)に到着した。慰安婦問題について調査するためである。そして今朝鉄道建設という側面から同じ研究を志すタイ人の研究者にお会いした。(昨晩私はカンチャナバル上空を日本の国旗をつけた飛行機が飛んでいくのをみた、これは偶然かもしれないが興味深いことであった)

昨日私は米国がインドネシアの独立を後押ししたと発表したが、それに対してネットあるいはネット以外でも多くの反論が寄せられた。彼らの多くは米国がインドンシアの独立を助けたなどと言うのは嘘であると言う。しかし、それは違う。実際に米国はインドネシアの独立を支援したのである。これは本当である。

日本という国はその短い帝国主義国家としての歴史について多くの批判に曝されてきた。しかし、真実はそれほど単純なものではない。是非以下に述べる拙文を読んでほしい。これは私がジャカルタのインドネシア戦争博物館で見聞きしたものである。


欧米植民地主義はアジアのみならず、世界の殆どを覆い尽くしていた。



第2次大戦以前、すでに米国は日本を攻撃していた。それはシナ大陸における米国フライングタイガーズ航空隊の存在であったり、ABCD包囲網と呼ばれる、対日経済封鎖であったりした。当初日本は協議によって解決する道を探っていたが、最終的に決定的かつ壊滅的なる解決策に打って出た。それは3世紀にわたってインドネシアを暴虐的に支配してきたオランダを殲滅せしめたことである。もちろん、真珠湾その他への攻撃もその決定的かつ壊滅的解決策に含まれることは言うまでもない。インドネシアを占領した日本軍は、それ以前にオランダがインドネシア人に与えてきた蔑みをそのままオランダ人に与えた。


日本軍はインドネシア住民に対して、彼らを支配してきたオランダ人は神なる存在などではないとして、現地人の前でオランダ人を罵倒し辱めた。

日本軍はアジア人が欧米人に対して抱いていた劣等感を払拭せしめた。それは、インドネシアのみならずアジア全域においても行われた。もちろん、クワイ川鉄道工事に使役され死んだ連合軍兵士達の大きな墓所がある、ここカンチャンブリでも同じである。(その墓所については数年前に私が詳細にわたって紹介している)
日本軍はしばしば戦争捕虜を虐待したことで有名である。ここカンチャンブリでも私が今年初めに調査したフィリピンのバターンでもそうであった。その捕虜虐待の中心となった看守達は当時日本軍として勤務していた韓国兵であったと言うことも付け加えておく。



インドネシアを占領した日本軍はインドネシア独立のための準備を始めた。



例えば、オランダは現地人を劣等民族として扱い、言語も団結を妨げるため各地各民族の方言を話すよう要求していたが、日本軍は現地人を自分たちと同じように平等に扱い、民族としての統一性を確保するため単一の言語に統一するよう努力を促した。もちろん言語の統一性は軍事作戦上も要求されることでもあるのだが。
最も重要なこと、それは日本軍がインドネシア人に自信を植え付けたことである。もちろんそれはオランダ人がもっとも忌み嫌ったことでもあるのだが。

さらに日本軍はインドネシア人に対し組織的戦闘法をも訓練した。
原爆投下によって戦争が終結した後、アジア各地の日本軍に対しては本国より連合軍への降伏命令が伝えられ、多くの将兵はそれに従った。しかし、少数の日本兵はその後何十年もアジア各地で戦い続けた。
インドネシアでは多くの日本兵が本国からの降伏命令に従わず復員をも拒否した。彼らはインドネシア独立戦争に参加するため残留したのである。(他にも理由はあったであろうが、それは些少である)

そしてそこに米国が登場する。
欧州では連合軍がオランダを侵略していたドイツを打ち負かしたが、その戦争の結果、欧州と日本は疲弊した。
それに対し米国はマーシャルプランを立案し、疲弊した欧州の復興に乗り出した。もちろんその計画にはオランダの復興も含まれていたのであるが、
オランダはその帝国主義領土(植民地)の復活を望み、インドネシアの再植民地化を目指してインドネシア現地独立軍との戦争を開始していた。そこで米国はオランダに対し、インドネシアの再植民地化を諦めないなら、マーシャルプランによる援助を凍結すると脅した。その結果、オランダは再植民地化を諦めざるを得なくなったのである。




日本軍が独立成功への条件を整備した。

日本軍がいなければ、インドネシアはオランダに隷属し続けたであろう。現在、インドネシアで日本は多くの尊敬と信用を得ている。

今日、インドネシア人は自信に満ちあふれている。何故なら彼らは自ら戦い自由を得たからだ。そして米国はささやかながらもその独立の力添えをした。
日本軍がアジアにおける欧米植民地主義に終止符を打たせたと言うこと、この歴史的事実に疑いの余地はない。
独立後、インドネシアは独自の帝国主義は開始したともとれるが、しかしそれにより無実の犠牲者が発生したとか、完璧に邪悪なる指導者が現れたという話も聞かない。

私は何度もインドネシアを訪問したが、嫌な思いをしたことなど一度もないし、インドネシアの人々はいつも好意的で、欧米人と話すことを嫌がらずに会話を楽しんでくれる。これが今日私が言えることである。

 おっと、もう午前9時15分になってしまった。私は10時にタイ人の著述家に会わなくてはならない。この文章を閉めるときがきたようだ。それでは皆さんよい日をお迎えください。

Anonymous said...

塾長さん、マイケルのフェイスブックへの投稿、そして今回の翻訳、ありがとうございました。
マイケルさん、歴史を脚色することなく、史実に基づいて客観的に評価する姿勢に敬意を表します。ありがとうございました。

この話しは日本の若者に知って欲しい。
日本の保守層にとっては既知でも、自虐史観にどっぷり浸かってしまった若者、アメリカと戦争したことさえ知らない子供たち、彼らに歴史の真実を知って欲しい。
自分たちの祖先が、あの弱肉強食の地球レベルの戦国時代に、何を成そうと考え、何を成し得たのか、その生きざまを知って欲しい。

ことさらに美化する必要はない。戦争には功と罪がある。
大東亜共栄圏の構想はアジア解放の理想かアジア侵略の方便か、単純なレッテル貼りは思考停止に陥る。
功は功として、罪は罪として、史実に基づいて自分の頭で考え・評価して欲しい。
少なくとも、敗戦後もなお現地に残り、現地の兵を訓練し、共に独立戦争を戦った人たちがいた。
願わくは、自分たちの祖先に敬意と感謝の気持ちを抱き、日本人であることを誇りに思って欲しい。

laughing Salesman said...

戦争をやっているうちに革命になってしまうことは、ままある。

アメリカの南北戦争は、奴隷制の可否をめぐって国が二つに割れてしまったため、当初は祖国の再統合のために行われた内戦だった。しかし、北軍が南部に進撃していくうちに、占領地の奴隷の扱いが問題となった。奴隷は北軍の戦利品なのか、合衆国の自由人として扱うべきなのか。それとも、南部の農園主から一次的に接収した財産であるから、元の農園主に返還すべき存在なのか?

最初、北軍は奴隷を戦利品として労役に使っていたが、最終的な身分は合衆国連邦の意思に委ねるしかない。再統合後の国家のあり方としては北部州の全体意思を南部に押し付けるしかなく、奴隷制の存在を州法で認めている南部州は全て自由州(奴隷制の存在を州法で認めない州)になってしまった。こうして、国家再統合のために開始された南北戦争は、南部のプランターがすべて、所有している奴隷を失う革命戦争になってしまった。

日本の大東亜戦争もそうだ。当初は支那大陸で蔣介石政権に武器その他の支援をする英米勢力との戦いであった。蔣介石を援護するルートは、二つあった。一つはシンガポールからベトナム沿いに広東まで行き、広東から陸路で重慶に到るルートである。もう一つはビルマから空路で重慶に到るルートである。こうして、日本は仏印進駐、英国の根拠地であるシンガポールの占領、ビルマ占領をしなければ援蔣ルートを遮断できないことになり、その途中にはアメリカが軍事基地を置くフィリピン、インドシナに権益を持つフランス、いったん占領してもシンガポールを奪還しにくるであろうインドネシアのオランダ、いったん占領してもビルマを奪還しにくるであろうインドの英軍との戦いを余儀なくされてしまった。

大東亜戦争が革命戦争に変わった転機は大東亜会議にあると思う。大東亜会議に於いてアジア各国から独立を目指す指導者らが参集し、東洋から西洋植民地主義勢力の駆逐が決意された。ここにおいて、大東亜戦争は東洋vs西洋の戦いに転化してしまった。

日本を破ったのは米国だけだ。いわば、日本の犠牲の上にアジアの各国は独立を遂げた。もしも大東亜戦争の完遂という概念があるとすれば、大日本帝国が大東亜戦争を戦った意味を我々がよく知り、ヨーロッパ・アメリカに負けない巨大経済圏・文化圏である大東亜共栄圏を完成させることだと僕は思う。但し、そこに中国と南北朝鮮を含めてはならない。

laughing Salesman said...

注:
上記において、僕は「革命」を「一つの支配階級の暴力による没落」という意味に使っている。大東亜戦争は当初、支那事変における日本vs英米ソの代理戦争として始まり、次に南方の石油その他の資源をめぐる資源戦争となり、最終的に植民地勢力の駆逐という革命戦争になってしまったと、僕は捉えている。

Anonymous said...

何時も有難く拝見しております
このブログ内容をツイッターで発信したいのですが
宜しいでしょうか?お返事待ちしております。

MichaelYonJP said...

白兎さんへ

どうぞ。

ありがとうございます。

Eiji Nakano said...

初めまして少しコメントさせていただきます。

もう少しで、ジェラルド・ホーンというヒューストン大の歴史学者(黒人)の人種戦争(レース・ウォー)を読み終わります。今読んでいて感じたことを少しだけ書かせていただきます。
この本は、WWIIを人種間の戦争という位置づけで書いています。
1)捕虜虐待に関しては、アメリカで迫害された日系移民が日本に戻って日本軍として戦ったケースが、一番激しい虐待があったと書いています。つまりアメリカでの人種的虐待の裏返しです。
2)日本人が思っている以上に、日本の英米における人種問題への工作が行われていたようであり、有色人種の反政府活動を支援・煽動していたようです。これを踏まえると、真珠湾攻撃とは、アメリカ国内の有色人種に対する反政府運動を促す意図があったのかもしれないとの思いに至りました。なぜ開戦が真珠湾だったのかという疑問に対する答えのひとつかもしれません。
3)インドネシアの独立に対するアメリカの支援については、なるほどと思う部分があります。
それは、WWⅡ後にイギリスが弱体化し、アメリカが覇権国家になった差は、人種問題に対する対応の差ではないかということです。大英帝国は「白人の優越」の上に築かれており、日本が香港・シンガポールを陥落させ、インドを揺さぶったことで、土台が揺らいだのですが、人種問題への対応に著しく後れを取ったということです。一方アメリカは、相対的に人種問題への対応が早かったと言えます。

WWⅡで、日本は多大な犠牲を払いましたが、ある意味歴史の必然であったのかも知れないと思います。日本が悪い国だという戦後教育を受けてきた日本人としては、救われる思いがあります。しかし、戦争は人間のやる最低の行為でもあり、戦争が起こらないように備えることが大事だとも思います。

yositune said...

ヨン氏の主張は我田引水とは言えないでしょう。
 当時、欧米は植民地を取り込み、経済のブロック化を推し進め、
日米からの交易を禁止するような体制作りを進めていました。
日本も米国も自由貿易主義、ブロック化反対(=植民地解放)
では共通だった。
 ただ米国はフイリピン等でも独立を約束しながら、経済利権
は手放す気が無かったのも事実で、これは日本も同様だった
と思う。
当時から日本は朝鮮や台湾では同化政策をとっており、地域に
置ける殖産興業開拓と産業投資を進めていた。
事例は初等教育の平等普及や衛生環境の整備、台湾でのダム建設
と灌漑による荒れ地の農地化や朝鮮での産業投資、内地人との
階層意識はあったが、東南アジアからの南方留学生に見せて、
日本の政策と欧米との違いを教えてもいた。(自信があった)
 当時、植民地に大学を作り、理学・工学部を作ったのは日本
だけだった。(欧米は作っても文科系のみ=産業自立をさせな
い為)

laughing Salesman said...

>日本が悪い国

どこが?と言いたいですね。GHQの洗脳教育を受けた世代は、そこからなかなか出られないのでしょうが、日本の戦争責任は戦いに負けたことだけです。

裏を返せば、なぜ、アメリカは日本に無益な戦争をしかけよったのか、そこを解明しなければならない。

戦後、アメリカ人は好き放題言っているが、日本が満州の資源と結びつくと大変な強国になる、これを恐れたので支那人と組み、嫌いなアカ・スターリンとも組み、日本を叩いたってだけです。はっきり言えば、アメは支那人にだまされ、スターリンに借刀殺人の道具に使われたってことです。

フランクリン・ルーズベルトこそ戦争犯罪人の最たるものだ。ヨン様は、そこまで受入れられるかな。

日本は日本で間抜けすぎた。世界の裏側で起きている悪党どもの卑怯な企みに気がつかなかった。例え気づいていても、今の慰安婦問題で傷口を広げたように、日本の立場を適切に訴える言葉をもたなかったでしょうけれども。

laughing Salesman said...

Chinese Communist Party is a pathological liar to the core.

Peoples Republic of China did not exist in 1945. It was KMT (Kuo-ming-tan) force which Japan’s China Expedition Force fought against and surrendered to in 1945. Chinese Communist 8th Route force was on the run behind Japan’s Imperial Army all the time and confined in the mountain cave of Enan all through the WWII. The only battle recorded in Japan’s War Report was unexpected guerrilla attack to the quartermaster food stack which was easily repulsed. It means they were hungry.

Chinese Communist Party is making a SHAMELESS BIG LIE to the world today.