Friday, July 15, 2016

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2 comments:

laughing Salesman said...

統計からすると、真珠湾攻撃に関する関心が高いようですね。むべなるかな。「真珠湾への道」という歴史のドラマは、まことに不可解な謎に包まれています。

日本はなぜ、世界を相手に孤立無援の戦争をしたのか。

フツーに考えて、戦前の日本って、今の北朝鮮みたいなキチガイ国家のように見えますよね。戦いに打って出て世界地図から消える道を選ぶか、じっと貿易封鎖に耐え、みんな餓死する道を選ぶかの違いしかない。

なんで、世界を相手に孤立無援の戦争をしたのか、そこが、どうしても分からない。大学生の頃に読んだ中公バックスにあるように、本当に、「夜郎自大」のならず者国家が、己の力もわきまえずに世界を相手にケンカを売り、ボコボコにやられた、という解釈でいいのか。

で、あるとき、昔読んだ菊池寛の小説「三浦右衛門の最後」のことが、ふと思い浮かんだ。大ざっぱなストーリーは、次のようなものです。

三浦右衛門は今川家の若侍だったが、今川が武田勢に攻められたときに逃げ出した。が、たちまち、武田勢の警戒線に引っかかり捕えられる。たまたま三浦右衛門を見知っている者がいて、「こら、お前は小姓ではないか。殿を捨てて逃げるとは、なんたる卑怯なふるまいか。このうえは武士らしく腹を斬れ」という。

命乞いをする三浦右衛門に対し、武田の侍たちは残酷な気持ちを抱く。「命が欲しくば、腕を一本よこせ」という。腕一本より命が大事と考える三浦右衛門は、おとなしく、腕を片方、斬り落とされることにする。すると武田の侍は、「腕一本では足りぬ。足も片方よこせ」と云う。で、苦しむ三浦右衛門は、ほうぼうから刃を付けられ、あざけりのなかでなぶり殺しに合う。

大昔のことだから、細かいところは違っているかもしれません。この小説は、今は青空文庫で無料で読めるはずだから、興味のある人は一読を。

それで、日本は三浦右衛門ではなかったから、戦いに打って出たのではないか。そう思ったら、それまでとは全く違う大東亜戦争の光景が見えてきたのですよ。

対英米蘭開戦にあたり、永野修身侍従長が天皇に申し上げたという「陛下、戦っても亡国です。戦わなくても亡国です。しかし、戦えば護国の精神はこの国に残り、将来の日本人が必ずや立ち上がってくれるでしょう」という言葉が、上記の仮説を裏付けています。

まさに、強大な宇宙人に攻められる映画Independence Dayで、米大統領が叫ぶ、“We do not surrender without putting up a fight!”の言葉そのままじゃないですか。

こういう場面は、日常のなかにも潜んでいますよ。街中で、ならず者に囲まれた時、キミならどうする、ってことですよ。

laughing Salesman said...

戦前の無声映画で「雄呂血」という作品があります(Youtubeで鑑賞できます)。

純真な若侍が、権力のある年寄りどもの姦計に嵌められ、とうとう、捕り方を相手に大乱戦になり捕縛されるというストーリーですが、なんとなく、戦前の日本に似ていて、見ていて泣けてきます。

この作品の冒頭に、こんなセリフが出てきます。

世人、無頼漢(ならずもの)と称する者、必ずしも真の無頼漢のみに非(あら)ず。
善良高潔なる人格者と称せらるゝ者、必ずしも真の善人のみに非ず。
表面善事の仮面を被り裏面に奸悪を行う大偽善者、亦(また)、我らの世界に数多く生息する事を知れ。

フランクリン・ルーズベルト大統領、ヘンリー・スチムソン国防長官、コーデル・ハル国務長官。こいつら反日戦争狂三羽カラスに戦争責任はないのか。

我々日本人は、東京裁判で額に「人殺し、強姦魔」のレッテルを貼られたまま、この70年を生き抜いてきたけれども、「後レジームからの脱却」を真に願うなら、この三羽カラスの戦争責任を明らかにしないといけない。