イラク・モスル
戦争においてさえ、戦闘は予期しない形で訪れる。
月曜に、モスル西部で作戦従事中に、無線で声がとどき、我々の兄弟部隊である3-21がチグリス川の反対側にあたるモスル東部で敵と交戦中との連絡が入った。その直後に、ウィル・ショックリー二等軍曹が米兵一人死亡という報告を我々にもたらした。我々はチグリス川の自陣側にいるはずの敵方射撃手を探し始めたが、すでに逃亡していた。ホセ・L・ルイスが戦死した。
モスルの状況は改善しているが、我々の部隊は今も毎日戦い続けている。今回の戦争は数年前に皆が思っていたような戦争とは異なるものかも知れない。だがいざ砲撃が始まると、事前の計画など単なる役立たずの正装に過ぎなくなる。
私が実際に目撃した中で事前の予定通りにほぼ進んだ唯一の作戦は数か月前にB中隊が襲撃したものだけだ。あのときだけは、信じられないほどほぼ完ぺきに予定通り進んだ。この作戦における唯一の瑕疵は射撃手が即席爆破装置を撃ったときだけだったが、誰も負傷しなかったので、我々はそのまま作戦を続行した。今振り返ると、なぜあのときのことを私は書かなかったのだろう。だが当時は多忙で、それ以外は全てほぼ完ぺきに予定通り進んだので、昔からよくある戦場の一コマとしか思えなかったのだ。
私はマット・マクグルー大尉と「モスルIVにおける戦い」の取材について話し込み、彼と一晩を共にしてさらに戦闘の実相を掴むために戦場におけるイラク軍の姿を見届けようとしていたが、モスルで続く戦闘のため、なかなかそれが実現しそうになかった。予定していた同行取材の前夜に、突如「緊急作戦」が決行されることとなり、取材に対する障害があまりにも大きなことが明るみになった。「槍騎兵の憤激」作戦は現場の部隊指揮官にさえ知らされないまま決行された。
先週私が「槍騎兵の憤激」に関する「警告命令」(作戦決行が間近という知らせ)を受けた時、この計画は現場から遠く離れた上層部が作ったものにもかかわらず、デュース・フォーの指揮官が真の実力を発揮できるように綿密に考案されていた。私が目にしてきた全ての軍の部隊において、水が丘の上から流れ降りてくるように名案は上層部から降りてくるものだという考えが染みついていたので、「槍騎兵の憤激」は明らかに起死回生の名案だったのだ。
「動揺」作戦の一環として、槍騎兵の憤激は一種のワニ狩りのようなもので、人間がまずワニをおびき出し、予定の方向に誘い込むか、何らかの行動をさせるためのものであった。そして彼らが行うことを、我々が暴き出す。「動揺」のうち戦闘の部分は洗練された「待ち伏せ」となっており、約一週間の期間が見込まれていた。
この動揺作戦は複雑な仕組みとなっており、複数の側面と複数の動作が組み合わさったものである。複数の側面とは文字通り地に足がついたブーツから頭上はるか上空を飛ぶ人工衛星まで含まれる。よって、当たり前のことだがつまづきやひっかかりが初日から多々発生した。主要装備の故障は、そのほんの一つにすぎない。だが、全体的に動揺作戦は順調に進んだ。最初の24時間ですでに数人のテロリストを拘束することができた。
木曜夜に、修正案に基づいてデュース・フォーの兵士たちが深夜24時前後に急襲をかけることになり、私はそれを追うことになった。各自がナイトビジョンを持っていた。よって動きは迅速だった。私が頼れるのは月明かりだけで、危うく足を骨折してしまうところだった。月明かりだけでモスルを動き回ることにより、我々は農家近くにある池にたどり着くまで青白い光をたよりにさまよった。諜報小隊が一軒の家に急襲をかけて数人の容疑者の身柄を確保し、再び闇にまぎれて近くの目的地を目指していった。
一人のイラク人男性がAK-47を小脇に抱えてある農家から出てきたとき、諜報の兵士五人―ホルト、ファーガソン、イェーツ、ウェルチ、そしてロス―は月明かりに照らされながら移動していた。突如として四人の兵士のライフル、光、レーザーに取り囲まれ、男は手早く武装解除された。五人目の兵士が無線で通訳者を呼び出し、この男は百姓で兵士たちは自分の畑を荒らそうとする泥棒だと思っていたということを聞き出した。諜報部員は男にライフルを返還し、再び無言のまま元来た道を戻り始めた。
平野の片隅にある木陰で小休止している間に、私はデュース・フォー大隊指揮官であるクリーヤ中佐が物静かに農民を誤射しなかった一人の兵士の自制心を称える声を又聞きした。ストライカーにその他の被疑者を載せたあと、我々は基地に戻り、そこで疲れ果てた私は金曜日の午前三時ごろから爆睡した。
私が寝ていた間にも、動揺作戦は続いていた。
アルファ・カンパニーは早い時間に出動してしまっており、ヤルムーク・トラフィック・サークル近辺で作戦に従事していた。誰からも好かれ、尊敬もされているダニエル・ラマ軍曹は、一発の銃弾に首を撃ち抜かれた時、彼はストライカー車内で空からの攻撃に備えて防御の態勢に入っていたが、ストライカーに倒れ込みながら、彼の体には発作が起こり、指が固まり、腕と脚が硬直していた。
私がイラクで手紙を受け取ることはほとんどなかったが、眠っている間に郵便局で私の受け取りを待っていたのは一枚の封書だった。米国旗が描かれている返信先の住所ステッカーを見ると、ペンシルバニア州ジェファーソンであった。切手の中で米国国旗がはためいている。中を開けてみるとカバーに米国旗が描かれている。中のカードに書かれた心温まるメッセージは次の言葉で締めくくられていた-
兵士の皆さんに私たちがどれほどあなたがたのことを気にかけているか伝えてください。
-ダン&コニー・ラマ
医療班が彼らの息子ダニエルを野戦病院(コンバット・サポート・ホスピタル、通称Cash)に運び込んだ時、まだ私は半分寝ていた。ここは今回の戦争において最も緊迫し、継続している市街戦を引き受けて150個以上のパープル・ハート勲章を受け取っているデュース・フォーの面々にとっては行きつけの場所のようなものだ。
ドンドンドン!と私の部屋のドアを叩く音がした。すぐに反応した私の前に立つのはデュース・フォーのトップであるロバート・プロッサー司令上級曹長だった。プロッサーは常に本物のプロであり、常に単刀直入だった。「ラマ軍曹が銃撃された。我々は十分後に集合する」そう言った。
「私も十分でそちらに行きます。」そう答えた私はすぐに目覚めた。
数分のうちに、私は部屋から飛び出し、まだファスナーやチャックを締めながらだったが、汗だくになりつつ戦術作戦センターに駆け込んだ。クリーヤ中佐がそこにいて、一人の兵士に現在手術中のラマ曹長に関する最新報告を聞き出していた。
兵士が戦死または負傷した時には、陸軍当局が家族・配偶者に電話を入れるわけだが、どれほど同情的であったとしても、連絡内容の性格上家族に対して大きな衝撃を与えざるを得ない。「お宅の息子さんが銃撃されました」を気軽に伝える方法は存在しない。よって、ここにいる男たちの話によると、この報告の電話は次のような文面になるらしい。「我々としてはこのお知らせを伝えることを残念に思っておりますが、あなたの息子さんがモスルで銃撃されました。彼の容態は安定しておりますが、現時点で伝えられるのはそれだけであります。」
クリーヤ中佐は軍が務めを果たす前に両親または配偶者に電話を入れ、本当の状況をそまま伝えることを好む。クリーヤは率直であり、少なくとも相手は正確な情報を入手できるのだ。
我々はストライカーに乗り込んで野戦病院をめざし、そこには基地で一番の人気者であろうウィルソン司祭がいた。誰もが司祭のことを愛している。ウィルソン司祭は私とほとんどの時は「マイケル、おはよう。今日の気分はどうだい?」と声をかけてくれる。だが時として「大丈夫か?」と聞いてくることもある。そして私は「オレ、疲れているように見えるのかな?」と思うのだ。
「もちろん絶好調ですよ、ウィルソン司祭!私が調子悪そうに見えますか?」
すると司祭は笑い出し、「ああ、マイケル、調子よさそうに見えるよ。ただ確かめたかっただけなんだ」と言う。だが、実のところ、司祭がそう聞いてくれるたびに、私の気分がよくなっているという側面もあったのだ。
ウィルソン司祭は笑顔で病院から出てきてダニエル(ラマ曹長)は無事だと説明してくれた。あの発作は首を撃たれたときのごく自然な反応とのことだった。怪我したのはあくまでも筋肉だけだった。それを証明して見せるかのように、ウィルソン司祭はこう言った。「ダニエルをこの病院に運び込んだ時、医師が状態を確かめるために指でダニエルの尻に触れたんだ。そしたら、ダニエルが“おい、何してやがるんだ?”と叫んだよ。」これを聞いて皆が笑った。
クリーヤ中佐が衛星電話でラマ夫人と話している間に私はプロッサー司令上級曹長の写真を撮影することによって話題を変えた。私はこの指揮官が負傷した兵士の母親に対して息子さんは無事だと伝える声を聞いた。ダニエルは多少の軽傷こそ負っているものの深刻な被害は皆無だった。クリーヤは母親に対して自分と何人かの兵士たちが病院でダニエルに付き添っていると伝えた。ただまだダニエルは話せる状態ではない。「ダニエルは大丈夫ですよ。本当です。ですから、軍から電話が入るたびにそれほど心配しなくていいですよ。」
我々はストライカーに乗り込み、ダウンタウンを目指した。
一部のストライカーは射撃手を探し回り、その他のものはヤルムーク・トラフィック・サークルの探索にあたっていた。アラスカ出身の歩兵1-17部隊のクレイグ・トリスカリ少佐が屋根を上げられた車の存在に気づいた時、彼はマイク・ローレンス少佐およびその他の兵士たちと一緒にいた。1-17部隊は間もなく1-24部隊の救援に当たるところで、トリスカリはデュース・フォーと共に作戦従事していた。トリスカリにはこの車両が不審なものに見えた。わずか数分前にはいなかった車ではないか。
少なくとも二方向から自動小銃が火を吹いた。銃弾が土ぼこりを蹴りあげ、我々はヤルムーク・トラフィック・サークルで交戦状態にあるという無線連絡を受けた。クリーヤ中佐と私はストライカー内部に座り、そこに二人の新顔がいた。イラク入りしてわずか三週間で、まだ一度も実戦に遭遇していなかった若手の少尉がいた。そして、もう一人はデュース・フォーの兵士の中では数少ない歴戦のベテランではない若手のスペシャリストだった。またストライカー内には「AH」という戦場にて私の目の前で本物の勇気を見せたことがある通訳者がいた。だがそこに数々の戦闘を潜り抜けてきた戦士たちはそこにはいなかった。
指揮官の無線オペレーターを務めるクリス・エスピンドラは、周囲の敬意を集める経験豊富なファイターであり、この時はバグダッドで開かれたイラク犯罪法廷にて数か月前にデュース・フォーが身柄拘束した二人のテロリストに対しての証人となっていた。郵便局に届いた手紙のように、この身柄拘束の裏にある実態は他の誰が想像していたよりもはるかに密接につながっていた。
クリーヤがライターを含め、デュース・フォーから見た部外者を兵士たちに同行させたがらないことは広く知られていた。部分的にはライターのせいなのだが、デュース・フォーについてニュースで聞いた人たちにとって、モスルは一種のジェットコースターのようなもので、ほんの何度かヘアピンの向きが変わった後は万事無事な場所だと考えられていた。それは事実ではない。
このレベルの敵意にさらされたことがない新顔たちは、兵士たちも含めまずは危険に慣れなければならない。よってクリーヤは新顔の下士官たちを信頼に足るようになるまで指導して、実際に兵士たちを率いて部隊の指揮官を任せられるまで三週間彼と共に時間を過ごすことを必須としている。
この数か月前のことだが、ブライアン・フリンという名の新任中尉が最初の三週間クリーヤに同行していたが、そのときにクリーヤがその一週間前にマーク・ビーガー少佐とストライカーが自動車爆弾で襲われた場所の近くを歩く三人の男たちを目に留めた。人間に対する直感が優れ、兵士たちから「デュースの第六感」と呼ばれているクリーヤの目には、三人の男たちが疑わしい存在に見えたらしい。彼の人間と状況に対する読みは異様なほどであった。
あの日、クリーヤは何らかの「違和感」覚え兵士たちに三人の男をチェックするよう命じた。ストライカーからスロープを降ろすと、テロリストの一人がシャツの中から一丁のピストルを引っ張り出した。マーク・ビーガーはもう一台のストライカーから最初の銃弾二発で一人が倒され、膝から崩れていく場面を見ていた。
ストライカーから出てきた最初にでてきたのはフリン中尉で、彼とエアガードのウェストファル大尉の両方が同時にピストルを見て、発砲した。もう一人の被疑者が走って逃げ始めた。だがクリーヤが見たのはフリン中尉がスロープを降り、そこで多々の銃撃があったところだけだった。クリーヤはフリーーーーーーン!‼!と叫び、フリンが発砲するのを止めそうな勢いだったが、新任中尉はまともな判断力を失い、連合軍から逃げるだけの男を撃っているのかと考えていた。兵士というものはただ走っているだけの者を撃つことはできないのだ。
クリス・エスピンドラもまた男を撃った。驚くべきは、複数の方向から四丁のM4で撃たれたにもかかわらず、男はまだ数分間生き延びたということだ。兵士たちは追いかけて、逃亡していた男を二人がかりで抑え込んだ。
基地における尋問の間に、二人とも自らがジハーディストであることを認めた。一人は狙撃手(スナイパー)になるよう養成され、もう一人は別の戦闘任務に当たるよう訓練されていた。二人はまた銃撃されたテロリストは自分たちの軍事班リーダーであり、三か月にわたり男の下で訓練を受けたことを認めた。クリーヤが危険を直感した時、この男たちは対米軍の秘密情報収集を行っていた。
この軍事班リーダーはポケットの中に血染めの「遺書」を入れており、そこには自分が真のムジャヒディンであり、アメリカ人と戦って死にたいと記してあった。そして彼の願いは叶った。そして今、クリーヤの無線担当であるクリス・エスピンドラはバグダッドにいて二人の生き残った共犯に対する証言をしていた。このような自白を引き出しながらも、クリーヤは発砲する時間さえほとんど与えられなかった若い無線オペレーターから取り残された。
フリンは今や六か月にわたって小隊長を務めていたが、今日クリーヤは小隊長になる前に指導を受けていたもう一人の少尉を連れていた。我々のストライカーには私がクリーヤ中佐と共に出会った通常の戦闘要員がいなかったが、アルファ・カンパニーからやってきた二組の歩兵集団がストライカーに乗っていた。この分隊はコンコル二等軍曹に率いられていた。
我々はこの地域でクリーヤが黒のオペルに乗り込んだ三人の男たちに目を留め、第六感が働いた瞬間にあの自動小銃が発射された地点を探索していた。クリーヤがこの男たちを標的にしたとき、彼はライフルを車に向けて三人に車から出ることを命じた。運転手は首をすくめて、エンジンを入れた。そこからカーチェイスが始まった。
ストライカーは俊敏だが、オペルはさらに速い。我々は小さな通りに入って大音声をあげつつ、ライトを照らし、車を通りの脇にこすらせながらストライカー内部では複数の無線がぶつかり合った。一台のキオワヘリコプターに搭乗するパイロットが無線で車の場所を特定したと知らせてきた。追跡を続けていると、パイロットが言った。「あちらは時速105マイル(約170㎞)で走っている」
「なんでパイロットに時速105マイルなんてわかるんだ?」そう私は考えた。
このキオワがオペルを狙撃した。
まるでこの疑問に対する返答であるかのように、パイロットは無線であのオペルは自身のヘリコプターを上回る速度を出していると言ってきた。ジェフ・ヴァン・アントワープ大尉が無線交信に加わり、自身の小隊をオペルの進行を食い止める位置に動かしていると伝えてきた。
「あの子供に気を付けろ!」我々の車両が激しく方向転換するときに子供をはねないようにと、クリーヤが我々の運転手に対してインターコム越しに叫んだ。
オペルは直進するときこそキオワよりも速いかもしれないが、車が曲がるときには、ヘリコプターは簡単に追いつくことができた。クリーヤはキオワへ警告射撃を命じ、それからすぐにキオワに車両の無力化を許可した。
キオワは小型で、乗れるのは二人だけだ。高度も低いので機上の二人の兵士は実質歩兵だ。パイロットが急降下したら、“副操縦士”が自身のライフルであのオペルに照準を定め、三発発射して後ろの窓を粉砕した。キオワは急降下して車の目の前にハードランディングして、さらに万国共通の「止まれ」の意味を込めて車両前部のフードに撃ちこんだ。
カーチェイスは終わったが、男たちは走って逃げていった。我々はストライカーで近づき、クリーヤが一旦首をすくめた後にハッチに飛び乗り、無線で「撃て」と指示を出すのが聞こえた。クリーヤは続けた。「後尾部隊は車を探索し、南北全体を探索せよ!私は北側になっている後ろのドアをブロックする!」
約15秒後に我々のスロープは降ろされた。戦闘開始だ。
市街戦の経験が少ない面々は、こういう大捕り物に際して、事前の決まりごとに忠実でなければならないと考える傾向があるが、実際のところ、デルタフォースやSEALsといった特殊部隊に所属する者なら全員、迷宮の中に逃げ込んだ男たちを追い詰めるときには、兵士たちも混乱の極致に踏み込んでいくことをよく知っている。兵士たちが早く動かなければ、悪者たちは逃げ延びていく。わずか数分前には、この三人の男たちも「時速105マイル」で逃げていて、ヘリコプターよりも速く逃げていたのだ。
そこには店があり、小道があり、門戸があり、窓があった。
クリーヤ中佐と共にいる兵士たちは素早く探索し、武器の準備をととのえ、素早く二人の男の手を縛った。だがこの二人は本来捕まえるべき男たちではなかった。一方で、コンコル二等軍曹率いる兵士たちは我々に向かって少しずつ前進してきて三人の男を一旦捕縛したが、背後に三人の男たちを残したままにした。
私たちの背後で発砲はあったが、左側のほうだった。
室内で接近戦が勃発した時、若き少尉と若いスペシャリストが店の中にいたが、そこから外に脱出してきた。何人の男たちが戦っているのか知らないまま、後方支援を求めていた。クリーヤ中佐は発砲があった方面に走り始めた。私を追い越していき、そして私が追いかけ、クリーヤが先導していた。
そこに巨大な発火があった。クリーヤ中佐は銃撃された。
クリーヤは撃たれたときに走っていたが、歩幅が乱れることはなかった。まるで柔道のような返しを見せて、射撃すべく上体をあげた。
バンバンバンバン!銃弾がクリーヤの周辺に撃ちこまれていく。近くに残っている兵士は若き少尉とスペシャリストだけだ。二人とも実戦経験はなかった。「AH」は武器を持っていなかった。私が持っていたのはカメラだけだ。
カウントダウンに入る。
クリーヤは倒されて動けないにも関わらず、戦い続けて発砲し、二人の若い兵士たちにここへ加わるようにと怒鳴った。だが二人はためらっていた。バンバンバンバン!
クリーヤの背後はがら空きだったが、彼の柔道風転びによってわずかに店の側に転がり込んだ。私は若い兵士たちに「あそこへ手りゅう弾を投げるんだ!」と叫んだ。だがそれでも二人は攻撃に加わらなかった。
「あそこへ手りゅう弾を投げるんだ!」だが二人は攻撃しなかった。
「手りゅう弾をよこせ!」二人は手りゅう弾を持っていなかった。
「エリック、オレが助けに行ってやろうか!」私は叫んだ。だが彼は「いらない」と答えた。(ああよかった。あんな店の前に駈け出すなんて命取りになりかねないではないか)
「何があったんだ?」私は叫んだ。
「オレが三発銃撃されたんだ!三発やられたんだよ!」
驚くべきことに、彼は正しかった。一発が彼の大腿骨を撃ち砕き、足がやられていた。もう一本の足も撃たれ、腕も同じくやられていた。
足がボロボロにされた中で、クリーヤはライフルを扉に突き付けて発砲し、兵士たちに中へ入るための指示を叫んだ。だがそれでも二人は攻撃しなかった。これは私が知るデュース・フォーの姿ではない。その他のデュース・フォーの兵士たちであれば部屋の中にいる連中を全員五秒で殺してしまうだろう。だがこの二人の兵士には一気に始末をつけてしまうだけの実戦経験がなかった。
すべては数秒間のうちにおきた。何度か私はクリーヤに駆け寄りそうになったが、毎回思いとどまった。クリーヤは、それでも戦い続けていた。そして私は非武装のまま店の前に駈け出すのが怖かった。
そして、やっと救援が一人の男の形でやってきた。プロッサー司令上級曹長だ。
プロッサーは曲がり角から回り込み、低くかがんでいた二人の若い兵士の脇を抜け、そして私の横を通り過ぎ、店の入り口にたどり着いて、中にいる男たちを標的にして撃ち始めた。
一人の男が前に出てきて、クリーヤをピストルで撃とうとしていたが、彼にとって唯一ここを脱出する方法は自ら道を切り開くか、さもなくばここで戦って死ぬしかなかった。クリーヤは扉に照準を定め、男が出てくるのを待ち構えていた。プロッサーがまさにこの瞬間に到着していなければ、結果がどうなったか誰にもわからない。
プロッサーは自身のM4ライフルで少なくとも四発男を撃った。だが米国製M4ライフルは弱かった―プロッサーが男の腹部に三発撃ち込んだ後、四発目が急所に飛び散ったのだが、男はよろめきながらも立ち上がり、逆にプロッサーを撃とうとしたのだ。
そしてプロッサーのM4は「真っ黒」(銃弾がなくなる)となった。建物内部の男のピストルにも何らかの問題が発生していたが、もはや銃弾を再装填する時間はなかった。プロッサーはカラになったM4を投げ捨て、店内に駆け込み男にタックルを仕掛けた。
私はこのときの写真を持っているにもかかわらず、プロッサーの銃弾がなくなり、店内に駆け込んだ瞬間を覚えていない。私は何もわからないまま、指だけはシャッターボタンを押し続けていたようだ。あらためてあの時を振り返ると、店内でプロッサー司令上級曹長のひどく血まみれになった足を見た。足は動いていなかった。銃撃され、すでに死んでいるようだった。
私は外で一緒にいた二人の兵士のほうへ振り返り、「いけ、いけ、攻撃しろ!」という意味の言葉を叫んだつもりだった。私は立ち上がり、二人に向かって怒鳴った。実際のところ、私が叫んだのはとても活字にできない下品な言葉だったのだが、一方でクリーヤは同じく二人に向かって突っ込めと叫んでおり、自身のM4は入口に置いたままだった。だが二人はそれでも突撃しなかった。
私は地面に転がるプロッサーのM4を見たが、一体これはどこから来たのか?
私はプロッサーのM4を拾い上げた。中は空っぽだった。私に見えたのは真っ暗な部屋の中でまだ動かないプロッサーの血まみれの足だけで、彼の体の大部分は金属製の板に阻まれて隠されていた。
「オレに何か武器をよこせ!弾倉も渡せ!」私が叫んだところ、若い少尉が三十発完全装填された弾倉を渡してきた。私は持っていたたった一つの弾倉をぶちこみ、ボルト(遊底)を解放してフォワードアシストを押し込み、セレクターがセミオート(単発)になっているか確かめた。
私は店の角に走って戻り、血まみれになっているクリーヤ中佐を見て、店の中で極度に血まみれとなっているプロッサー司令上級曹長の足を見たが、彼の体のそれ以外は全て視線がさえぎられて見えなかった。私は店の中に駆け込みながら銃であらゆる男をなぎ倒した。そして私は死ぬほどの恐怖を覚えていた。
あの瞬間に私が気付かなかったのは、まさに私が店内に飛び込もうとしたときにアルファ・カンパニー第二小隊の四人の兵士が現場に到着したことだった。グレゴリー・コンコル二等軍曹、ジム・ルイス軍曹、スペシャリストのニッコラ・デヴェローとクリストファー・ミューズが私の背後にいたが、私は四人の姿を見ていなかった。
角にたどり着きそうになり、私は店内に三発の銃弾を撃ち込んだ。三発目の銃弾はプロパンガスボンベに食い込み、空中に飛び上って激しく回り始めた。私の頭を直撃しそうになったところを辛うじてよけることができたが、店の外に高圧ジェットとして飛び出したガスが私の顔を直撃した。ゴーグルをかけていたので目を守ることができた。私は思い切り息を吸い込んだ。
コンマ何秒かのうちに、私はあらためてプロパンに注意を向けた。火の玉だ!地面に一旦直撃してから跳ね返り、激しく回転し、ガスとホコリで一つの雲ができあがっており、誰かが発火するのを待つばかりになっていた。
私はつまづきながらも、立ち上がり数ヤード走って後退したが、もしここに火があればクリーヤが焼かれてしまうのではないかと恐れた。アルファ・カンパニーの兵士たちはクリーヤ中佐がオレは大丈夫だと叫んだとき彼の方向に向かっていたが、プロッサー司令上級曹長はまだ店内にいた。アルファ・カンパニーの兵士たちはプロパンとホコリの雲を突っ切り、店に突入した。
あの銃弾がボンベに食い込んだ時、私は血まみれの足を見て死んだに違いないと信じていたプロッサーは、実は地面で肉弾戦を繰り広げていたのだ。地面での取っ組み合いのため、プロッサーは右足に縛り付けていたピストルも左足に装備していたナイフも引っ張り出すことができなかった。テロリスト―それもかなりの大物テロリストであることが後に判明した-はプロッサーのヘルメットを掴み、ねじり上げていたのだ。
プロッサーはテロリストの頭を三回こぶしで殴りつけて首をつかみ、ねじり上げていた。だがプロッサーの手袋は血で滑りやすくなっていてまともに掴むことができなかった。同時に、このテロリストはプロッサーの手首にかみつこうとしていたが、代わりに男はプロッサーの腕時計の表面にかじりついた。(プロッサーは腕時計の表面を内側にして装着していた)テロリストは腕時計で口をいっぱいにしていたが、それでもプロッサーの顔を殴りつけることができた。私がプロパンガスボンベを撃った時、プロッサーはもう少しで男を窒息させるところだったが、私の発砲によりプロッサーは敵がやってきたと考えたらしく、一旦掴んでいたテロリストの首から手を離し、ちょうどコンコル二等軍曹、ルイス、デヴェローとミューズが店内になだれ込んできたときにホルスターからピストルを取り出した。だがこの銃撃とプロパンガス惨事によりテロリストも息を吹き返したので、プロッサーは素早く再びピストルをホルスターにおさめてテロリストの顔をコンクリートに打ち付けて男を制圧した。
戦闘ドラマは終わったが、私はあらためて写真を撮り始めた。
アルファ・カンパニー第二小隊が到着した時、プロッサー司令上級曹長の足はテロリストの血で染まっていた
約一分後に諜報部隊が姿を現した時、バウマン一等軍曹はクリーヤ中佐に横たわるようにと言った。だがクリーヤは周囲に警備の強化を命じ、次にあれをしろこれをしろと行動の指示を出し続けた。非常に経験豊かな医療班のスペシャリスト・ムノスがクリーヤにモルヒネを投与すると、指揮官はそれでも命令を出し続け、果てにはムノスに仕事の進め方を指図する始末だった。そこでバウマン一等軍曹はムノスに対してクリーヤにもう一本モルヒネを投与せよと命じ、これでやっとクリーヤがおとなしくなり、命令を出さなくなったので彼とテロリストを戦闘支援病院に送り出すことができた。以前ダニエル・ラマが首を撃たれ、回復したのと同じ施設だ。
戦闘支援病院
我々が基地に戻ってもこの動揺作戦は続いていた。クリーヤ中佐が「ビーガー少将に妻へ電話してもらって軍から最初に連絡が行かないようにしてほしい」と言ったとき、指揮官とテロリストは共に手術を控えていた。だが誰かが指揮官に携帯電話を手渡し、私にはクリーヤが妻のメアリー・ペイジに対して次のようなことを言っているのが聞こえた。「ハニー、ちょっとした銃撃戦があってな、オレもほんの少し撃たれて小さなケガを負ったんだよ」もっとも、すぐ近くにあるX線検査の結果を見ると彼の大腿骨はほぼ真っ二つになる寸前だった。「大丈夫だよ。大したケガじゃないからな」ああ、お気の毒に。
医師はクリーヤ中佐とテロリストを手術室に運び込み、外科医は両方同時に手術を開始した。このテロリストはこの基地内食堂で大規模な爆発があり、22名が死亡したテロが発生したのと同じ2月21日に米軍(2-8A)に拘束されたハリド・ジャシム・ノヘであることが判明した。
あの12月の1日に、ハリド・ジャシム・ノヘと二人の同胞は2-8FAの米兵から逃れようとしていたが、兵士たちは逃亡する車を停車させることができた。そして容疑者の一人は三人全員が拘留される前に米兵から武器を力づくで奪おうとしていた。このテロリスト三人は一丁のスナイパーライフル、AK、ピストル、サイレンサー、爆発物その他の兵器で武装しており、この米軍基地の地図を含む数々の写真を保有していた。
あれが12月のことだった。
約二週間前に、ノヘの一件は8月7日に裁判官によって棄却されたという情報が流れた。連合軍は憤怒した。米軍士官によると、これまでにも数々の起訴が大した理由もなく棄却されることがあったという。何が理由であれ、アブグレイブ刑務所から釈放されてから二週間以内に、ノヘはモスルに舞い戻り米兵に対して銃撃しているという結果をもたらした。
クリーヤ中佐が私に対して何度も語ったのは―そして私が何度も書いたのは―テロリストを釈放したらさらなるトラブルをもたらすだけだということだ。クリーヤはこの言葉をほぼ毎日のように繰り返していた。彼の激しい反対活動により、陸軍の拘留施設部門の一部からはにらまれる存在になってしまったが、それでも方針が変わることはなかった。そして今やクリーヤは銃撃され、自らが警告し続けた一旦捕まえたのに釈放してしまったテロリスロトと同じ手術室で同時に治療を受けようとしているわけだ。
クリーヤが手術の数時間後に目覚めたとき、彼はプロッサー司令上級曹長に電話を入れ、聖書と「烈炎の関門」という本を所望した。クリーヤは「烈炎の関門」を新任の士官全員に配り、一読せよと命じていた。私にもこの本を一冊くれて、読むように勧めていた。私の本には、印がつけられた一節があり、私に言わせればこの一節は美辞麗句で飾りすぎではないかと感じられるところがあった。だが、いつも私はこの本をイラクの地図とともに自分の机に置いていた。
「私が選ばれた一人になるのかも知れない。帰還して語る一人だ。今やかつての痛みは全て乗り越えた。たとえ物語を伝える渇望を満たす機会を求め続けるとしても、人生はそれ自体が甘きものだが、愛したものを背にして去っていくことの痛みは突如耐えられないものとなることもあるようだ」
クリーヤがこの本をくれてしばらくしてからのことだが、部下の兵士の一人を喪って間もなく、彼が私にこう言ったことがある。「あんたには私の部下の男たちのことを伝えてほしい。本当のことをわかってくれるのはあなただけかもしれないから」この言葉は私の記憶に深く刻み込まれた。
私はプロッサー司令上級曹長が司令官に面会するときに同行していいかどうか聞いてみた。例の二冊を携帯して、私たちは車で病院に向かった。マーク・ビーガー少佐がクリーヤのベッドに付き添っていた。そして指揮官としばらく時間を共にして、プロッサー司令上級曹長と私は部隊に戻っていった。
デュース・フォー
リーダーシップにとって真の試練とは、司令官がいなくなった時に訪れる。クリーヤの部下たちは壁にかかっていた彼の妻子の写真とアメリカンフットボールのミネソタ・ヴァイキングスの旗を降ろし、旗には全員が寄せ書きとサインをすることに決め、箱に詰めた。あっという間に書く場所がなくなるほど隙間が埋まってしまったが、それでも私が一筆加える場所は見つけることができた。私も自分の名前をこの旗に加えたかったのだ。
この場所は突如空虚感に包まれた。
私が戦術作戦センターに戻ったときに、マイケル・ローレンス少佐―いつも私が懸垂の競争をしていて、今のところ毎回(なんとか)私を負かしている男だ-が職業的に私の目を見つめ、軍の指揮官として単刀直入に聞いてきた。「マイク、今日武器を使ったのか?」
「使いましたよ。」
「もしもう一度君が武器をとることがあるなら、次の日にはここを出て行ってもらうことになる。わかったか?」
「わかりました。」
「今日何があったのか、もう少し話しておかねばならない。」
「使いましたよ。」
「もしもう一度君が武器をとることがあるなら、次の日にはここを出て行ってもらうことになる。わかったか?」
「わかりました。」
「今日何があったのか、もう少し話しておかねばならない。」
記者は戦うことが許されていない。そこで私はバウマン一等軍曹に写真を見て現場で何があったのか聞いてくれるように頼んだ。エリック・クリーヤとプロッサー司令上級曹長が目撃者なのは確かだが、私としては現場にいなかったデュース・フォーの面々に私が何の理由もなく武器を使ったのだと誤解してほしくなかった。だから私はバウマン一等軍曹を選んで話しかけた。この男なら公平だし、士官及び兵士たちからの信頼も篤い。バウマンは公平な態度で私の話に耳を傾けてくれた。写真を見ながら、バウマンはこう言った。「マイク、単純な話だよ。あんたと周りの人間が命の危険にさらされていたということだろ?」
「バウマン軍曹、ありがとうございます」私は伝えた。
そして戦術作戦センターに歩いて戻っているときにウィルソン司祭と出くわし、「マイケル、気分は上々かい?」と声をかけてくれた。
「もちろんですよウィルソン司祭!」なぜ司祭はいつも同じことを聞くのか?私がストレスでやられているように見えるのか?だが、突如私の気分はよくなった。ウィルソン司祭はこの宇宙で唯一私を自らの自由意思で聖堂に行かせることができる可能性がある人物だが、今のところ私は教会に足を踏み入れることに逆らい続けていた。
ダニエル・ラマと司令官が撃たれてからまだ数時間が過ぎただけだった。マット・マグリュー大尉がクリーヤに面会すると私が聞いたのは午後九時ごろだった。私は同行を申し出た。我々は病院に入り、エリック・クリーヤのベッドがダニエル・ラマのベッドのすぐ隣に据えられているのを見た。クリーヤは半ば眠っていた状態から一瞬にして完全に目覚めた状態になり、「やあ」と私たちに声をかけ、座るように促した。しばらく会話した後に、司令官は隣のベッドを見わたし、「ラマ軍曹、気分はどうかね?」と声をかけた。
「最高であります。」
「よかった」司令官は応じた。「これからは、お前が私の新任PSD(Personal Security Detachment:要はボディーガードのこと)だ」
ダニエル・ラマは笑顔を見せ、ベッドを出た。私はこの新しい任務を与えられた男の姿を写真におさめた。
アメリカへ帰還するべく飛び立つ飛行機が病院のすぐ外に着陸し、エンジンの音を病院内にまで響かせていたのは午後十時近くだった。クリーヤを撃ったテロリストは、今や近場のベッドに横たわる機能を失った男だが、実は釈放後にラマやトンプソンやその他の男たちを撃ったのと同じテロリストかもしれない。クリーヤはハリド・ジャシム・ノヘの姿を見ることができたが、特に何かコメントすることはなかった。
マグリュー大尉と私は真っ暗闇の中で土ぼこりをあげながらデュース・フォーに戻ったが、一方で司令官とラマ軍曹はイラク全体で発生したその他の負傷兵と死亡者と共に、帰国の途につき始めた。
この翌日、イラク陸軍と警察の指揮官たちはクリーヤ中佐が狙撃されたことに怒りをあらわにした。一部は部下の男たちを責め、一部はテロリストをなじっていたが、非難するだけでは信じられないという思いを拭い去ることはできなかった。クリーヤはほぼまる一年にわたり文字通り毎日作戦行動に従事していたのだ。ダウンタウンの住人と言葉を交わしていた。店のオーナーたちと交流していた。医師たちと会議を重ねていた。イラク人の自宅でお茶を飲んでいた。子供が生まれたばかりの母親たちと出会っていた。戦時下で安全区域がない状況でこのように地元住民と交流し、市街地の雰囲気をつかんでおくことは重要なのだ。この基地内でさえ危険なのだ。
クリーヤの階級にいるリーダーたちがイラク人の考えを知るためには、直接交流してみるしかないのだ。むろんそこには大きなリスクがある。だが、このような任務を成し遂げるのがクリーヤのような男たちなのだ。とくにモスルのように特殊で戦闘的雰囲気がある場所でこのような任務を遂行するのは並大抵のことではない。そこには自由の大義に対する強い信念が必要である。そして双方の価値観とコストに対する真の理解も必要だ。そして最後には必ず我々が勝つ、という揺るぎない確信も求められる。
クリーヤについて誤解しないでいただきたい―彼は戦士であり、常に最前線で全責任を負う男だ。だがこういう戦場で示す勇気こそアメリカ人が敬愛し、イラク人も敬意を払うリーダーの姿なのだ。デュース・フォーの兵士たちのように、イラク人はあまりにも多くの戦乱を見すぎてもはやおとぎ話を信じられなくなっている。真の戦士とは血を流すものだとイラク人たちはよく知っている。
イラク軍および警察官たちは、アメリカ人たちが、特に対テロリストの場面において軟弱すぎると見ている。クリーヤが撃たれたことに怒りを示したイラク人たちは、ジハーディストたちの憤怒は生まれつきのもので変えようがないことを知りぬいている。三か月ほど冷房完備の部屋で反省させたくらいでテロリストが無辜の市民に生まれ変わることはないのだ。
ウィルソン司祭と二人の大隊付き外科医、ブラウン少佐、ウォー大尉を交えた昼食の場で、戦場における「倫理」について激しい議論を交わし、なぜ我々はテロリストたちに最高の医療を提供しなければならないのか激論した。ここでテロリストたちが受けている治療は大部分のアメリカ人およびヨーロッパ人たちが享受しているものよりはるかに上等でかつ高額なのだ。
「これがテロリストたちと我々の違いなんだよ」ウィルソン司祭が言い続けた。
「わからないかね?これが違いなんだよ。」
「わからないかね?これが違いなんだよ。」
御支援感謝します。
我々 マイケル ヨン チームも日本を支援します。
我々 マイケル ヨン チームも日本を支援します。
4 comments:
百田さんの永遠のゼロが英語で出版されました。
http://www.amazon.com/Eternal-Zero-Naoki-Hyakuta/dp/1939130824/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1446170391&sr=1-1&keywords=eternal+zero
イラク戦争の戦争目的は、大量破壊兵器(WMD)の除去だったはずだ。ところが、肝心要のWMDは見つからず、「ない」ということになった。結果、アメリカは他の民族の頭の上から爆弾を落としただけのことになり、15万人を下回らない数のイラク人を殺した。おまけに、パンドラの箱の管理人であるサダム・フセインを殺したことで箱が空いてしまい、イスラム国なる山賊・匪賊が飛び出した。こいつらを一人残らず殺さないと、テロに怯えないですむ安定した中東世界はやってこない。
ベトナム戦争の目的は、東南アジアの共産化防止だった。すなわち、ベトナムが赤化すると、東南アジア全体が赤化するという「ドミノ理論」を信じたために、アメリカはベトナム人の頭の上から爆弾を落としつづけた。これによる死傷者は数知れない。で、ベトナムが赤化したのち、東南アジアは赤化したか?東南アジアに共産政権は誕生していないから、「ドミノ理論」は誤りだった。
朝鮮戦争が勃発したとき、マッカッサーは、戦前、日本が置かれていた立場を理解した。そして、直ちに日本防衛のために在日米軍を総動員して北朝鮮軍を鴨緑江に押し戻し、その後に介入してきた中国志願軍と戦った。このときにマッカッサーが残したセリフが「アメリカのアジアにおける最大の過ちは、毛沢東の中国の出現を許したことだ」というもの。もしアメリカが、日本による満州の建国と、南京陥落後の汪兆銘政権の樹立の意味を正しく理解し、日本国民の頭の上から爆弾を落とし続ける愚をやっていなければ、毛沢東が出てくる余地はなく、彼は延安の洞窟の中に押し込められたままだったろう。
1936年に蔣介石が第六次囲剿作戦をやって延安を攻撃していれば毛沢東も周恩来も死んでいたはずだが、西安事件が歴史の流れを変えてしまった。
ことほどさように、アメリカはドジを踏んできている。アジアも中東も、アメリカの尺度で図れるものじゃないんだ。体育会系の筋肉バカで他民族の頭の上から爆弾を落とすしか能のない間抜けは、おのれどもがやってきたことを少し反省しろ。
laughing salesmanさんが書かれたことはすべてもっともですが、歴史にifはないので、愚かな行為の結果に向き合うしかないと思います。「少しは反省しろ」ですが、米国は筋肉バカを反省した結果、オバマのようなタマ無しが大統領になったのだと思います。あの男が「世界の警官や~めた」と責任を放り投げたお陰で中東は大混乱、ロシアはクリミアに侵攻、中国は安心して南シナ海へ進出したのではありませんか?私は世界には米国という体育会系の筋肉が必要だと思ってます。オバマのような男が米国のCommander-in-chiefであるのは世界の不幸です。ロシア、中国、北朝鮮などゴロツキ国家に囲まれている日本にとって、筋肉バカの米国を非難する気にはなれません。
MMさん:
そのIFを考えることこそ、歴史の徒の使命であり、過去の教訓を今に生かすということなのだよ。「歴史にIFはない」と宣言して思考停止に陥ったら、歴史を紐解くことは無意味な暇人の作業となってしまう。イラク人を15万もぶっ殺して、「ごめんね、WMDはなかったよ。テヘ」で済むわけがないだろう。本土空襲では日本人が60万人も死んだ。この事実に、後代の我々は、どう向き合うんだ? どうして、こうなったのか、どこかで違うコースを歩んでいれば、別の運命があったはずだと考えること、それが将来の戦争を防ぐことにつながり、歴史を学ぶ価値を生じるというものだ。
もちろん、運命は自国だけの選択で得られるものではなく、相手の国の運命の選択との相互作用によって、やがて目の前にやってくる。21世紀は、前世紀のような悲惨な戦争の繰り返しであってはならないはずだ。だから、俺はアメリカ人にも反省しろと云っているのだ。他の人にも、英語を習得して日本の主張を述べよと云っているのだ。本当の同盟とは、そういうものだ。
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