読者の質問は文末にあります。
編集する余裕なしの急ぎの回答ですので
誤字脱字等はお許し下さい、
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私のチームではアジアの歴史についてしばしば調査や議論を行なっています。その中でわかったことは、歴史とは定説の通りではなく、私たちの周囲には大規模な情報戦とそれに付随するいくつもの小規模の情報戦が繰り広げられているのが現実です。台風のようなプロパガンダの嵐に我々の調査研究が一筋の太陽の光をあてるように事実をえぐり出すこともあります。
注記: 現在の中共は1949年に建国しました。この点は重要です。
中共が存在する前に日本が中共を粉砕するなどあり得ません。確かに日本は満州などに侵攻しました、しかしそれに対して現代の中共は特に不平は無いはずです。なにしろ当時、共産党政府は存在していませんでしたから。
米国が 日本との第二次大戦の前哨戦を行っていた範囲では、現代と同様に、嘘が巧妙にばら撒かれていました。私はフロリダ出身ですが、ナチスと日本が世界を支配しようとしていたと聞かされ、教えられて育ちました。 実際はナチスと共産主義者が支配しようとしていたのですが日本は違いました。日本はナチスも共産主義者も嫌っていました。日本には天皇がいるからです。ナチスと共産主義者は天皇や王様、女王などとは相容れません(それゆえタイは米国の助けも借りて共産主義を弾圧してきました、しかしこれは別の話です)。
日本はナチスと同盟関係になったが、それは我々がサウジアラビアなどの国々と同盟関係にあるのと同じようなもので、例えばサウジアラビア(KSA、Kingdom of Saudi Arabia)は、国家の安全保障とお金以外は、アメリカと共通の関心はほとんどありません。そういう関係です。日本は自国の国土が侵略され破壊され、他国に奪われてしまうことを恐れていました。 日本とドイツの間の共通の関心事項はそのことでしたが、ナチスは世界を支配しようとしました。日本は自国の安全保証を確かなものにするために十分なだけの地域を手に入れようとしました。
日本人は仏教や神道を広めようとしていたわけではありません。我々西洋人は「与えられた使命」をモットーに、神の名の下に西部開拓を推し進めました。
しかし日本は仏教や神道の布教のためにアジアの国々を開拓したのではありません。一方で、日本以外の国々には、共産主義を広める使命、ナチスの勢力を拡大する使命、イスラム教を布教する使命、キリスト教を布教する使命はありました。
日本以外で神社があったとしても少数です。私がフィリピンやタイで見たのはささやかなお社でした。 日本人は、世界に彼らのイメージを押しつけようとしたのではなかった。古い記録を調べてみると、当時、日本は数多くの巨大でどう猛な狼に取り囲まれており、そのことに非常に頭を悩ませていたことがわかります。
真珠湾攻撃はぎりぎりの決断でした。とても敵わないとわかっている相手の顔面にパンチを繰り出すーー(アメリカが日本に必要な石油や重要資源を絶っていたので) 日々 体力は弱っていく、到底無傷ではいられないだろうが、まさに今、やらなければ永遠にチャンスは無いーー大男に首を絞められつつあるーーダーティーなナチスと仲良くしなければならない -- 生き残りをかけて -- 日本は 殴りかかったが、大勢の敵に連打されて地に崩れ落ちる。数で圧倒され、謀略に負け、資源が枯渇した状態で。
日本は資源が底をついているのにもかかわらず戦いました。信じられないファイターですが、それだけでは不十分でした。
興味深いことに今も尚、しばしば日本とナチスとを比較する人がいるが、比較すること自体日本やナチスのことを何も知らないか、何か理由があって嘘をついていることを露呈しています。 旧日本軍が大量殺戮に関わったというのは 単なる間違いです。もちろん多くの戦争犯罪は犯したでしょうが、大量殺戮、すなわち多くのヨーロッパ諸国が行ったような、アメリカが先住民にしたような大量殺戮はしていません。
日本が地球を征服しようとしていた、というプロパガンダを田舎の少年に吹き込むのは簡単でした。 当時、外国のことを知るには州立の学校で教えられたこと、 ラジオ、数少ない新聞や雑誌、伝聞しかなかったからです。 為政者は日本が人も資源も決定的に不足していたのを知っていました。しかしアメリカ人のほとんどは情報不足だったので、日本がすぐに米国を征服しにやってくると思って恐怖にかられました。
日曜の朝に急いで書いています。書き間違いなどはご容赦下さい。
読者からの質問について、情報をお願いします。
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「今まで、日本が中国に如何に残酷であったのか、あるいは逆に中国が日本に如何に残酷であったか、という本を読んだり映画を観ました。
これは過去数百年間のことと思いますが、できれば過去数世紀にわたる二国間の関係に関して、あまり偏見の無い本がありましたら推薦していただけませんか。
よろしくお願いします。」
Japanese-Chinese history: question from a reader
A quick note from me -- I have no time to edit so please excuse poor writing. After that, at the bottom, is the reader question:
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Our frequent discussions about historical issues across Asia have led to many awakenings that all is not what it seems, and that a vast information war along with many sub-wars are unfolding around us. We live in a typhoon of deception while some of us search for rays of sunlight.
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Our frequent discussions about historical issues across Asia have led to many awakenings that all is not what it seems, and that a vast information war along with many sub-wars are unfolding around us. We live in a typhoon of deception while some of us search for rays of sunlight.
On a side note, please keep in mind that the current China formed only in 1949. The idea that Japan was smashing China before it existed smells a bit off. Yes, Japan invaded Manchuria, etc., but current day China has no specific grievance; the communist government did not exist.
Insofar as US dealings with Japan pre-World War II, deception is just as deep then as today. I was raised in Florida hearing stories and being taught that Nazis and Japanese wanted to rule the world. This is true of Nazis. And Communists. Japanese were neither. Japanese did not like Nazis or Communists. Japan had an Emperor -- Nazis and Communists do not get along with Emperors or Kings or Queens. (Thus we saw Thailand crush Communists with help from USA, but that is another story, if related.)
The Japanese allied with Nazis more in the way we ally with countries like Saudi Arabia. We have very little in common with KSA other than national security and money. It ends there. Japan and Germany had very few common interests other than Japan feared eventually invasion, destruction and assimilation. Nazis wanted to rule the world. Japan wanted to rule enough to assure national security.
Japanese were not out exporting Buddhism and Shintoism. We were doing the Manifest Destiny -- there was not Japanofest Destiny, but there were definitely Commofest and Nazifest and Islamofest and Christofest destinies.
How many Shinto shrines have you seen in any country outside of Japan? Very few. And those often are tiny memorials, such as I saw in Philippines and Thailand. Japanese were not trying to remake the world in their image, and if you look back at old documents, Japan was very afraid of being surrounded by numerous BIG BAD WOLVES.
The attack on Pearl Harbor was a last ditch effort. Like punching a guy in the face that you pretty much know you cannot beat, but you realize that if you don't punch him today, your punch will weaken day by day (we had cut off their oil and other vitals), so it now or never, knowing your chances of coming out intact are not great. But you know one thing: the big guys are strangling you, and so you pal up with dirty Nazis that you do not even like -- this is a matter of survival -- and you lash out and finally get pummeled to the ground by the mass of enemies. Just outnumbered, outflanked, out-resourced.
Japan was out-everything except out-fought. Incredible fighters, but that was not enough.
Interestingly, people even today compare Japanese with Nazis, proving they know nothing about Japanese or about Nazis, or they are just lying for some reason. The idea that Japanese committed any genocides are simply false. They committed many war crimes, but ran no genocide campaigns as have many European and other powers, including Americans against natives.
The idea that Japan was going to conquer the earth might have been easy to sell to farm boys back in a time when the only connection to the outside was through state run schools, meager radio and other media outlets, and word of mouth. Japan did not have the manpower or resources to conquer much. They knew it. A lot of Americans did not, so it was easy to frighten Americans that Japanese might soon begin conquering the USA.
Again, my apologies for the very quick Sunday morning story that is unedited.
Please help with this question from a reader:
"I’ve read or seen movies in the past that note how horrible Japan was to China and alternately how horrible China was to Japan. I think this has been over several hundred years but I wonder if you have any book recommendations that are fairly unbiased on the relations between the two countries for the centuries. Thanks for any direction."
34 comments:
非常に核心に迫って来ましたね。今後のマイケル・ヨン氏の発信力に期待しております。
その上で、細かな部分での認識の違いを、しばしば感じております。主に下のような点でしょうか。
・満州は中国(国民政府)の一部なのか、そうではないのか。
・当時の植民地主義(含む人種差別)を当然とするか、否定するか。
・ベルサイユ条約は正当であったのか、不当に(ドイツに対して)過酷であったのか。
・大西洋憲章は理想高い理念だったのか、連合国の戦いを正当化する偽善だったのか。
・日本は独裁国家(ファシズム国家)だったのか、そうでは無いのか。
日本がドイツと手を結んだ理由の一つは、ドイツは第一次世界大戦でアジアの植民地を失っていたため、日本との利害衝突がなかったことが重要だと思います。それで、対ソ連での同盟として提携が始まった。
それと、日本国内では、ドイツと提携すべきと考える人たちと、欧米と協調すべきと考える人たちの両方が存在していたことも、付け加えておきたい。
日本と中国関係の歴史本については、一冊だけを挙げることは私には難しい。黄文雄・宮脇淳子・岡田英弘・呉善花・石平氏らの名前を挙げて置きたい。
あと、おそらく、GHQが焚書した本のなかに良い本があるだろうと思われる。GHQが没収した本の一部は、アメリカの「ワシントン文書センター」へ送られ、今は「アメリカ議会図書館」にあるそうです。
英語で読める本なんでしょう。詳しくないですが新しめのはおもいつかない。
1) Ralph Townsend (1933) “Ways That Are Dark: The Truth About China”/ラルフ・タウンゼント『暗黒大陸 中国の真実』
2) ditto (1938) “America has no enemies in Asia! : Popular rumors from Asia are very alarming, analyzed and compared facts are not”/同上『アメリカはアジアに介入するな!』
3) George Bronson Rea (1935) “
The case for Manchoukuo”/ジョージ・ブロンソン・レー『満洲国出現の合理性』『「満洲国建国」は正当である』
4) Frederick Vincent Williams (1938) “Behind The News In China”/フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』
当時の史料というべきか。にしても著者は日本の手先、(軍国日本への「偏見」は許されるが)中国への「偏見」と見做されてアウト、研究なんかされてないんでしょう。5) は傾向としてはリベラルなのでアメリカのアカデミズムでも受け入れられる可能性もありそう(?)ですが、完全に忘れ去られた存在なんでしょう。秦教授の 6)「大陸拡張」は「読者」の方にドンピシャかもしれませんが未読。どうなんですかね。
5) Helen Mears (1948) “Mirror for Americans: JAPAN”/ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』
6) Ikuhiko Hata; Alvin D. Coox (tr.) (1989) “Continental expansion, 1905–1941” (The Cambridge History of Japan Volume 6)
“できれば過去数世紀にわたる” と注文を付けると、もう候補は思いつきませんね。大まかに近世(江戸時代)、近代(第二次大戦終結まで)、現代(戦後/冷戦期)と分けて、各時代毎に個別のテーマを追うしかない。それらをつなぎ合わせていって、ようやく、近現代史というものができる。
中国と日本との関係で近代を扱っているものは、
Mao the Unknown Story (Jon Halliday & Jung Chang)
Japan in China (K. K. Kawakami)
は必読だと思います。
Japan in China (K. K. Kawakami) は、英文の原著が絶版になっていて、邦訳の「シナ大陸の真相」(河上清/著 展転社)を読んだのだけれも、支那事変を研究するうえで必須の書と思った。
Back Door to War (Charles Tansil)は、支那事変の背後にソ連の手が暗躍していたことを具体的に記しているというので、近いうちに読んでみたいけれども、こちらは邦訳が出版されていない。
上のコメントにもある、“Mirror for Americans: JAPAN”(Helen Mears)は“できれば過去数世紀にわたる”の注文に応えられる本のようで、邦訳は『アメリカの鏡・日本』で読めるけれども、こちらは英文の原著が絶版の状態。
「読者」がアメリカ人なのか日本人なのか分からないけれども、大事なことは、朝鮮戦争がなぜ勃発して、米兵が朝鮮で4万人も死ななければならなかったのか、そこから考えを進めること、だと思います。
反共の防波堤だった日本をアメリカが破壊したから、満州はソ連の手におち、支那正州(長城以南)は毛沢東の中共の手に落ちた。これはアメリカの大失敗を意味していて、そのツケを朝鮮戦争で払わされたことに他なりません。北朝鮮軍はソ連製のT型戦車に乗って南に攻めてきたのですよ。で、アメリカは旧国民党軍を主体とした「中国志願軍」と朝鮮で戦った。毛沢東にしてみれば、アメリカの火砲で潜在的な政敵を殺して貰ったわけで、これを支那では「借刀殺人」という。
第二次大戦でアメリカがいかにおめでたかったか、敵を間違えて、スターリンや毛沢東、蒋介石といった連中に一杯喰わされたか、それをまずアメリカ人が自覚しないといけない。
私は以前、「ガダルカナルの戦い」における一木部隊の抜刀突撃を「愚かな行動」と思っていた。ジャングルの暗がりのなか、戦車に機関銃を揃えて待っているところに、「白刃を連ねて」突撃するなんて、阿呆すぎる、と。特攻作戦にしても、練度の高いパイロットを失っていけば、機体は新しく作れても戦闘力が低下するのは目に見えている。
こう思っていた背景に、以前、「川崎・横浜の空襲の記録」をHPにまとめていたことがある。戦争体験者は、当然、お年寄りが多い。キーボードを叩けないし、HPを作れない。それを私が実現していた、というので、彼らの集会に招かれ、そこSさんというご老体と知り合った。
彼は特攻潜水艇「回天」の乗組員として訓練を重ねていたところ、米軍の本土上陸を控えて作戦が変更になり、「横浜でありったけの船を集めて、敵の後ろに回り込み、本土部隊と挟み撃ちにするから、そのための準備をせよ」という命令を受けて待機していたところに横浜の空襲を受け、屍体の回収ばかりするようになったという。
これ聞いて、私の頭の中は?マークでいっぱいとなった。横浜の空襲は5月29日のことだ。東京も川崎も焼け野原であって、制空権は完全に失われている。B29のような爆撃機ばかりでなく、グラマン戦闘機も地上に向かって弾を撃ち放題になっている。敵に空からまる見えで行動して、敵の後ろに回り込む、なんて、できっこないだろ。沖に出る前に全滅だ」と、考えた。
それだけでなく、抜刀突撃にせよ、特攻作戦にせよ、制空権が失われてもまだ性懲りもなく戦おうとする行動にせよ、太平洋戦争はなぜ、これほど不合理な作戦に満ちているのか、その理由が分からなかった。
最初は「天皇が戦争の全面に出てくると、ろくなことがない」と考えた。南北朝の戦いを分析すると、天皇方には新田義貞と名和長年とか、どうも頂けない武将が多い。精神論一辺倒で、戦争を理詰めで戦おうとしない愚劣な奴らが集まる、と。
で、何年かたって、ある時、はっと気が付いた。先人たちは、サムライらしく戦って死のうとしたのではないのか?と。動員できる物量・人員が最初から圧倒的に違い過ぎて、合理的な作戦を立てようがないのだ。当時の日本人には敵に哀れみを乞うて戦さを避けることは考えられない。まして「敵に寝返る」なんぞは論外だ。ならば、天皇と心中するしかない。楠正成のように大敵の中に突入して、命を散らすしかない。梅松論(足利方の史書)のなかに、楠正成のことを、「敵といえどもあっぱれ」とある。もはや、「敵といえどもあっぱれ」というところに、美しい生きざま、死にざまを見出すしか道はなかったのだ。
同時に、ここまで祖国を追い詰めたアメリカに対し、無性に腹が立った。かといって、アメリカは日本にとって大事な同盟国であって、今さら敵討ちの対米戦争を訴えるなんて論外だ。
ならば、日米戦争の誘因を明らかにし、ルーズベルトの人非人ぶりやアメリカの阿呆さを暴いてやるしかない、と心に決めた。
付記をしておきます。
B29の護衛のために随行しているグラマンやロッキードなどの戦闘機ですけどね、こいつらの行動ときたら鬼畜そのもので、地上を逃げまどっている女子供に弾を撃ちまくっているのですよね。ウソだと思ったら、当時の体験記を漁って読んでみたらいい。
そのために片腕を失った女性の手記を読んで、しばらく身の震えが止まらなかったことがある。
アメリカ人は支那人のウソは簡単に信じてしまうくせに、日本人が言う事は聞こうとしない。日本人に残虐な殺人強姦魔のレッテルを貼るくせに、自分たちがどんなに残虐な非道行為を働いてきたかは見ようとしない。安全保障の問題があるから、一応、私も日米安保の強化を大事にはするけれども、こんな悪い友はいないと思うことがある。当時の日本人の目に「鬼畜米英」は文字通り、そのように見えたことだろうと思う。
中国と日本に関する英語の書籍は全くわかりません。すいません。
関係ない話ですが
自分の子供の歴史教科書を見てみました。
東京書籍です。
なんと、朝鮮併合という言葉は使わず「韓国併合」という
当時存在しなかった韓国という言葉を使ってるし
日本が半島を植民地にした。日本による苦しい植民地時代を
韓国人は徹底的に抵抗して独立運動を続けた。
って書いてあって、子供は信じてます。他にも
変なところがたくさんあるけど
どうやら、この東京書籍の教科書は広く使われてるようです。
わたし、ショック。
教科書に書くというのは、絶対的な歴史観を作り上げるのだと
実感しました。
「南京大虐殺」について(前半)
私は5年くらい前までは「南京大虐殺」が本当にあったものと信じていました。
根拠があってそう思っていたのではなく、積極的に肯定も否定もする材料がなかったので、なんとなく「そうなんだろうなあ」という感じで、そのまま聞き流していたというのが本当のところです。
その私が、最初に疑問に思ったきっかけが、黄文雄さんと石平さんの対談本のなかに「三光作戦」について触れた記述があって、中国語の「光」には明かりの他に「空っぽにする」という意味があるが、日本語の「光」には明かりの意味しかない、ということが書いてあったのです。片方は四川省生まれ、もう片方は台湾出身者だから、言葉の持っている意味を間違えるはずがない。
はっと思って、児島襄の「日中戦争」5巻ものの中に「全面清光」という項目があって、読んだ時に「変な言葉だな、中国語かな」と不思議に思ったことを思い出した。で、改めて「全面清光」を探したら、1927年(昭2)の上海クーデターの項にあった。これは蒋介石の北伐軍が、上海で共産党員8千人を粛清した事件です。
「騙された」と悟ってから2年、自分なりに色々と調べ直してみたら、確かに「南京大虐殺」なるものは存在しない。
それで、なぜ私が「なんとなく」にせよ、「南京大虐殺」があったと考えていたのかを探ってみたら、大学生の時に読んだ中公バックスの日本の歴史シリーズの第24巻「ファシズムへの道」にあることが分かった。この本は、今は文庫本ですが、1970年代の当時は新書の単行本で、若い頃から歴史好きの私は、出版される度に買い求めて熟読していました。
で、南京陥落に触れた部分には、佐々木到一少将が「その後俘虜(注:「捕虜」の意)ぞくぞく投降し来り、数千に達す。激昂せる兵は上官の制止をきかばこそ、片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛酸をかえりみれば“兵隊ならずとも皆やってしまえ”といいたくなる」と記述していると書いてあって、その後に、著者の言葉で「その後もみさかいもなく一般民衆に対する虐殺が続くのであり、十五日の夜だけで2万人が殺されたといわれる」と続く。
これだけを読めば、素人が「南京大虐殺」があった、と考えるのも道理だ。しかし、「激昂せる兵は上官の制止をきかばこそ、片はしより殺戮している」その相手は、指揮官が白旗を上げて「降伏」していない敵兵だ。敵が組織立って降伏し、その武装解除が終わるまでは生殺与奪の権限は味方にある。敵が降伏とみせて射撃してきたら、どうするのか。そもそも指揮官(蒋介石・唐生智)が数日前に兵を置き去りにして逃亡してしまったので、白旗を上げての組織立った降伏は不可能になってしまった。武装解除されないままの敵兵が「投降」してきたからって、直ちに戦闘を中止する必要はない。だから、この佐々木到一少将の言葉の出典元の「南京攻略記」にあるとおり、「敗残兵といえども、尚部落山間に潜伏して狙撃をつづけるものがいた、したがって、抵抗するもの、従順の態度を失するものは容赦なく即座に殺戮した」のであって、“兵隊ならずとも皆やってしまえ”という佐々木到一少将の言葉は、戦闘継続中の言葉なのだ。
それから、「南京攻略記」の十二月十六日の条には、「市民ぼつぼつ街上にあらわる」と書いてあって、ならば、「十五日の夜だけで2万人が殺された」という中公バックスの記述はおかしくなる。何千人も殺戮が続いているところに「市民ぼつぼつ街上にあらわる」はずがない。(後半に続く)
「南京大虐殺」について(後半)
時代背景を考えてみると、1960年代は全学連の安保闘争が盛んな時代であり、「毛沢東思想」や共産主義に共鳴する若者たちが多かった。あの学生闘争も、紅衛兵による「造反」の一形態と見られなくもない。その背景にベトナム反戦運動が存在したことは間違いない。
あの若者たちは、70年頃の羽田闘争を頂点として徐々に下火に向かい、73年の「あさま山荘事件」「山岳ベース事件」で壊滅的打撃を受け、その後は凄惨な内ゲバの時代に入っていった。おそらく、大半の平均的な学生は、過激な活動から離れていったはずだ。
70年代の後半、大学生であった私が、吉田拓郎やガロの歌に夢中になっていた頃、あの若者たちは、毛沢東思想を抱えたまま、教員や新聞記者、作家になっていったに違いないのだ。企業に就職した連中は、全員が転向組のはずだが、「転びキリシタン」にならなかった連中もいたはずであり、それを考えると、現在、日教組や新聞記者にパヨクが多い理由も分かる気がする。彼らのお弟子さんたちなのだ。一時期、岩波や中央公論が左翼の牙城のようになっていたというのも、そういう事情があるものと思う。
「教科書」だけなら、騙されない。その私も、市販の本までが偏向していると、一種のポチョムキン村に住んでいるような状態になってしまい、真実が見えなくなる。
それに、あの頃は、文化的なものに触れようとすれば、本屋さんか図書館に行くしか手段がなかった。インターネットが普及したのは2000年代の前半、XPという安定したソフト、それを支える日本の半導体をはじめとする精密な機械技術、ブロードバンドの一般家庭への普及の三拍子が揃ったのが、2005年頃ではなかったかと思う。
それから約十年、YoutubeやAmazon、ブログといった通信手段が我々の日常のものとなった。ようやく、我々は過去の思い違いと対決する日々を迎えることができたものと思う。
(終わり)
>YK さん
李氏朝鮮は、1897年~1910年まで「大韓帝国」という国号を使っていました。
この「大韓帝国」を併合したので、日韓併合と呼んでいます。
(追伸;図書について)
米国駐日大使も務めていたライシャワー博士が、日本史の本を書いているのを想い出しました。日本側からの視点だけど、初心者向けには良いかも。
Japan The Story of a Nation, C.E. Tuttle, 1978, 3rd ed.
『ライシャワーの日本史』 文藝春秋、1986年/講談社学術文庫、2001年。
「南京大虐殺」について(付記)- 佐々木到一少将と私の共通点
やっぱり、私の悪いクセで、また付け足しを書きたくなった。
佐々木到一少将と私には「支那に甘い考えを持っていて、ある事がきっかけで脳天を打ちひしがれた」共通点があります。
佐々木到一少将の場合は、1928年に北伐の過程で発生した済南事件であり、このミニ
通州事件ともいうべき支那兵による日本人居留民の虐殺事件の現場を直に見分したのが、少壮軍人時代の佐々木到一だったのです。
彼は国民党の軍人・政治家には話のできる人物がいると考えていて、支那研究と国民党と日本との宥和に一生を捧げようと考えていました。しかし、済南事件で惨たらしい邦人の死にざまに触れて中国人の残酷さを知り、それ以後、対支那強硬派に転じます。
私の場合は2012年8月の反日暴動で、松下(現パナソニック)の工場が焼き討ちされ、日本領事館に投石し、商店から物を略奪、日本車を破壊している野蛮人の顔を見せられたことです。「自分の支那に対する認識は根本的に間違っていた」「やっぱり、この人たちとは付き合えない」と思い知りました。それで、当時出版されていた支那に関する本を読み漁った中に、冒頭で紹介した黄文雄さんと石平さんの対談もあった、ということなのです。
最近、Michael Pilsburyという人がThe Hundred-Year Marathonという本(邦題「China 2049」)を書いて、「アメリカのこれまでの対中政策は根本的に間違っていた、アメリカが友好の手を差し伸べている間に、中国はいずれアメリカに取って代わるべく、虎視眈々とその機会を狙い、力を蓄えている」と警鐘を鳴らしているという。
日本軍が南京に接近、攻撃して陥落させ、更に占領した全期間(1937年11月末‐1938年2月)に渡って南京市内に留まり、女性たちの世話や市民への炊き出しに尽力した金陵女子文理学院の代理学院長Minnie Vautrin女史も、相当に支那には幻滅したと見えて、帰国後にガス自殺しています。最後の手紙には「私の支那における布教活動は失敗であった」と記されていたとか。
その頃、Minnie Vautrin女史も含めて一般のアメリカ人が支那に対して抱いたイメージは、恐らく、パールバックの「大地」やエドガー・スノウの「中国の赤い星」によって形作られたのではなかったか、と思います。大恐慌後のアメリカ、株投機を始めとする飽くなき富の追及に疲れ果てた人々が思い描いた質朴な人々が懸命に働く世界、それが支那であったはず。この感覚は、どこか、我々にも共通しています。最初は昭和元禄、次がバブル景気、「土地ころがし」だ「エコノミック・アニマル」だと騒がれ、巷の文学も「失楽園」のような不倫ものが大流りだった時代に「清く貧しく美しく」をモットーに生きた人々は、いい加減に疲れ果ててしまった。そこに見た支那の世界は、周恩来のように東洋的君子の風貌を持った人物が率いる、我々が遠い昔に置いてきたような質朴な世界だった。それで我々はバブル景気が生み出した様々な「らんちき騒ぎ」に対する反感から、一衣滞水、日中友好などの言葉に酔いしれ、相手の正体を見極めないまま、すっかりと騙されてしまった。
そういう、自分たちの社会に大いに疑問を持ったとき、支那という悪魔は我々の耳に「こちへおいで」とささやく。そうして我々は、相手が人を殺してその肉を喰らう野蛮人であることをすっかりと忘れてしまう、というわけです。
今、支那人というものを良く研究し、我々が騙されてきた過程も良く研究しておかないと、将来、また騙されるかも知れません。つくづく、「支那には、ご用心、ご用心」と申し上げたい。
迦具さん
韓国併合って言葉は正しいの?
植民地時代は、日本人が土地を奪ったから、韓国人は日本に仕事を求めて移住した。
なんて嘘コメントまで教科書にかいてる、
わたしは、朝鮮併合って言葉をならったので。
ひょっとして、大韓帝国だから、韓国人と表現してるの??
>70年代の後半......あの若者たちは毛沢東思想を抱えたまま、教員や新聞記者、作家になっていったに違いないのだ。企業に就職した連中は、全員が転向組のはずだが、「転びキリシタン」にならなかった連中もいたはずであり、それを考えると、現在、日教組や新聞記者にパヨクが多い理由も分かる気がする.....。
14日に左翼が国会前デモを呼びかけ、主要新聞3社に広告まで出したのに、集まったのは大半がシニア(写真参照)で、いつものメンバーばかり。70年代の学生運動を懐かしむシニア同窓会とか揶揄されてますが、彼らの頭の中は全く進化してないようです。主催者発表3万人とは笑えます。その一割もいないでしょう。スカスカです。左翼って集合かけてもあの程度。日本人の多くは、わざわざ大声張り上げて主張する必要もない、いわばサイレント.マジョリティです。
朝日などサヨク系マスコミの一番の敵はネットでしょう。一昔前なら「国会前は安倍退陣を求める何万人もの怒れる若者で溢れ...」と書き、部分的に切り取った写真を掲載して印象操作できたのに、今では瞬時にバレてしまいます。
http://hosyusokuhou.jp/archives/48814651.html
>YK さん
「韓国併合」と呼ぶ場合の「韓国」は、過去の「大韓帝国」であって、現在の「大韓民国」ではないということです。そして、現代においての「韓国人」というのは、戦後から存在する「大韓民国」の国民という意味です。
私自身は「日韓併合」と習ったように記憶しますが、いまは「韓国併合」とも読んでいます。「朝鮮併合」という語は。私はあまり聞きません。李氏朝鮮を併合したという意味でしょうから、一概に間違いとも思いませんが。
なお、現代の韓国の歴史教科書が嘘(間違い)だらけだということには、同意します。
下の本なんかが、詳しいです。
勝岡寛次著『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』小学館文庫、2001年
>laughing Salesman さん
ほとんど全部に同感です。
私が南京事件について勉強した時の本は、次のようなものです。民間人虐殺はなかったと思ってます。
田中正明著『「南京事件」の総括』小学館文庫、2007年 ~全体像がよくわかります。
東中野修道著『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』草思社、2006年
東中野修道・小林進・福永慎次郎著『南京事件 「証拠写真」を検証する』草思社、2005年
松尾一郎著『プロパガンダ戦「南京事件」』光人社、2004年
水間政憲著『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』PHP研究所、2012年
稲田朋美著『百人斬り裁判から南京へ』文春新書、2007年
DVD『戦記映画復刻版シリーズ 4 南京~戦線後方記録映画~』日本映画新社・ニコービデオ(内容は、1938年(昭和13年)東宝映画文化部 製作。56分・白黒。)
YouTube ≫ 戦線後方記録映画「南京」 1938年東宝文化映画部作品.avi
YouTube ≫ 【松尾一郎】発見!戦線後方記録映画「南京」、失われた10分間から見えるもの[桜H26/2/20]
阿羅健一著『「南京事件」日本人48人の証言』小学館文庫、2002年
鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』文藝春秋、1973年
鈴木明著『新「南京大虐殺」のまぼろし』飛鳥新社、1999年
松村俊夫著『「南京虐殺」への大疑問』展転社、1998年
北村稔著『「南京事件」の探求 その実像を求めて』文春新書、2001年
川野元雄著『南京「大虐殺」被害証言の検証』展転社、2012年
ユン・チアン、ジョン・ハリデイ共著『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上・下』土屋京子訳、講談社、2005年
鳴霞/千代田情報研究会 著『あなたのすぐ隣にいる 中国のスパイ』飛鳥新社、2013年
私の家族も朝鮮併合という言葉で学んだといってます。。
問題の教科書は、併合時代の人を韓国人と表現していて
じゃあ、大韓帝国という言葉が教科書に書いてあるのか
確認したいけど、子供がうるさがって教科書を隠してしまいました。
他のページもいろいろ妙な気がします。
これって、韓国の人が編集したんじゃないの?
他の教科書がよかったです。
この内容だと、韓国が希望する日本人が育つこと間違い無しです。
迦具さん
わたし、気がついた! 迦具さんは、私より若い世代?
私、マイケルヨンさんと同じくらいの年齢です。
だから「朝鮮併合」。朝鮮半島と台湾は、日本にした。と習ったけど
若い人はみんな植民地にした。って習ってるんだ。
大韓帝国って言葉は、私は最近読んだ韓国関係の本で知りました。
もちろん、当時、植民地だと表現する人や資料はあったけど
日本人だった。と、私は学んだ。
でも、今は教科書がちがうんだ。。。ってことがわかりました。
では、オーストリアはドイツに併合されました。これは
オーストリアがドイツになった。ってことで、併合という
言葉を使ったのだけど
今の教科書では植民地になったことになってるの?
子供の教科書、そのうち確認してみます。
たぶん、韓国の部分は日教組とか韓国関係者が担当して編集してるから
おかしなことになってるんだ。
こんなふうだから、話が合わないんだね。
MMさん:
>国会前に集まったジジババ
ホントにジジババばかりですね。いわゆる安保世代で、今、70歳前後かな。国会が安保反対デモに取り巻かれているとき、岸信介首相の孫にあたる安部首相は、まだ少年で、家のなかで「アンポ、ハンターイ!」と叫んで走り回っていたというから、この世代と安部首相とは、なんとなく因縁浅からぬものがあるのでしょうね。
私が会社員になっての初上司が、国会前の安保反対デモに参加して機動隊の放水を浴びたとかで、あのころは「死んでもいい」と思っていたとか。一種のファッションだったのでしょうね。座り込みをやって、機動隊の放水浴びてもがんばって、カッコイイ、女の子にモテるぞ、とか。
「2ちゃんねる」が普及し始めて、まだ「便所の落書き」とか言われていた頃に、この話題で盛り上がったことがあって、ヘルメット被って角材持って機動隊に突入していく、「あれはレジャーだった」と断定している人がいましたよ。「なんか、東京もんが面白い事をやっているので、ちょっと見てこいと人を出しているうちに、俺らも吊られて参加してしまった」そうな。
>朝日などサヨク系マスコミの一番の敵はネットでしょう。
今、たまたま「歴史問題の正解」(有馬哲夫著 新潮社)を読んでいるのですが、その中に、こういう文章が出てきます。
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アメリカの政治学者ジョセフ・ナイも述べている。世界の人口の半分以上がインターネットを使う時代では「プロパガンダと思える情報は軽蔑されるだけでなく、それがその国の信頼性を損なうなら、むしろ逆効果だとわかるだろう」
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韓国の「慰安婦」、支那の「南京大虐殺」が、そうなるといいんですがね。アメリカ人にとっては、日本が絶対悪でないと先の戦争や原爆投下・本土空襲における無差別爆撃を正当化できないので、余計に韓国人・支那人の口車に乗り易いのでしょうね。なかなか、ジョセフ・ナイの云うようにはなりません。
>YK さん
私の年齢は50代後半です。
私が言いたいのは、「韓国併合」の韓国は大韓帝国を指す、ということだけです。
https://www.youtube.com/watch?v=tBzm9DxM9WI
日本統治下の満州
すでにご覧になった方も多いと思いますが、日本統治下のソウルの映像です。
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1703.html
「カラー映像はスウェーデン人外交官のThor Wiestlandt氏、白黒は米国人のナレーター兼映画プロデューサーのJ·A·フィッツパトリック氏が撮影」
全体的にみな満足そうに見えます。ナレーターが「かつて男は夜9時以降は外出禁止(女性が安心して出歩けるよう)だったが、解除された」とあるのは、日本の統治がゆきわたり治安がよくなったからでしょう。
白黒動画では assimilating という言葉が使われてます。韓国人の言う”人類史上最悪の植民地支配”ならアメリカ人がこんな言葉を使うはずもないでしょう。
>国会前に集まったジジババ
ジジババは別としても、デモのたびに思うのは「この中の何割が日本人だろうか」です。プラカードの文面が日本語としておかしいこともあります。 http://netgeek.biz/archives/115670
先日の国会前デモで共産党の志位氏が「安倍政権で民主主義が崩壊..」と言ったらしいです。共産党が民主主義を語る矛盾(笑)。日本という安全圏にいて自由を謳歌し、言いたい放題のサヨク。デモは戦車でつぶすような国はコワくて批判できないようだ。
MMさん
たしかに、キムチ臭いですね。
反省しる!みたいなものですかねえ(このページの一番下を参照)
http://www.howitzer.jp/urinara/web09.html
迦具さん
ご指摘と返信、ありがとうございました。
大韓帝国のことだとわかってるのか、子供にそのうち聞いてみます。
まだ、授業ではそこまでいってないので もっとあと。来年くらい。
編集者が目指しているのは、たぶん、あいまいにしておいて、あたかも韓国が昔から
存在していたかのようなイメージを作り出したいのではないかと想像してます。
laughing salesmanさん、
>「アメリカの政治学者ジョセフ・ナイも述べている。世界の人口の半分以上がインターネットを使う時代では「プロパガンダと思える情報は軽蔑されるだけでなく、それがその国の信頼性を損なうなら、むしろ逆効果だとわかるだろう」
.....韓国の「慰安婦」、支那の「南京大虐殺」が、そうなるといいんですがね。
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そうなるといいのですが楽観はできませんね。でも最近はあのアレクシス.ダデン一派も大人しくなったようで(希望的観測かな)徐々に効いているかも知れません。海外で反日勢力と戦っている人が、「日本政府の対応に熱意が感じられない」とコメントしてましたが、中韓の総がかり攻撃に直面すると、おとなしい日本に歯がゆさを感じるのは当然です。英語での発信を増やし、彼らを援護することが何よりも重要と思います。政府をあてにせず個人で努力しているlaughing salesmanさんのような人がたくさん出てくるといいのですが。
シン.スゴ という名の反日女が「ヘイトに耐えられずドイツに亡命」したそうです(以前にlaughing salesmanさんのコメント欄で名前が出てきた気がします)。亡命という大げさな言葉に笑ってしまいました。反日やり過ぎて住みにくくなり出て行っただけでしょ。ドイツから相変わらず日本の悪口を発信し続けてますが、なぜ、”愛する祖国”ではなくドイツを選んだのか。韓国にも北朝鮮にも住みたくないのが在日のホンネでしょう。
MMさん:
>最近はあのアレクシス・ダデン一派も大人しくなったようで
数日前に、韓国政府が米ワシントンにある研究機関への予算支援を中止した、というニュースがありました。
http://www.sankei.com/smp/west/news/180417/wst1804170001-s1.html
アレクシス・ダデンは、たぶん、韓国政府がスポンサーになっていたので、その意向を受けて「反日魔女」をやっていたのでしょう。日本のテレビ局でも、金慶珠という人が韓国擁護の論陣を張っていたけれど、春の番組編成以後、登場しなくなりました。この二人の背後に「韓国売り込み」を目的としたカネが動いていたと考えるのは、うがった見方に過ぎるでしょうか。韓国ドラマの放送が、今でもしぶとく残っていますからね、日本のテレビ局を取りにきたけれども、韓国そのものの不人気や退潮傾向は如何ともしがたいのでしょう。「カネの切れ目が縁の切れ目」という分けですわ。
アメリカにおける慰安婦像設置と反日組織の動きですが、私自身はサンフランシスコ市の慰安婦像設置で峠を越したと思っています。SF市の設置は昨年の9月で、実はその前の6月のジョージア州ブルックヘブン(Brookhaven)市での慰安婦碑設置のときも地元住民からけっこう反発があったのですよね。「自分たちが公園の維持費を負担しているのだから、子供の遊び場に余計な物を建てるな」という不動産管理面からの反発の他に、慰安婦問題の本質を理解したうえでの反発の声も多かったので、これは新しい動きだと思いました。で、SF市の設置の時は、その傾向が鮮明に現れていました。
最悪だったのは橋下前大阪府知事がポンポンと軽口を叩いていた時で、あの時のアメリカ人は一種の興奮状態に陥っていて「聞く耳持たぬ」という状況でした。あれから4年以上が経過して、その間、落ち着いて勉強をしたアメリカ人も出てきたようです。印象的だったのは「日本人は証拠を挙げてものを言っているが、韓国人は喚いているだけだ」という意見があったこと。
象徴的な事件は、昨年の暮れ、メリーランド州ソールズベリー大学で慰安婦像設置の動きが秘密裡に進められていたけれども、いざ設置という直前に大学当局から「無期延期にしろ」という指示があったことです。
つまり、我々はこれまで少数の反日活動家を相手にしてきたので、そいつらの口は封じ込めることができなかったけれども、SF市の像設置で問題が大きくなりすぎたので、一般の常識あるアメリカ人も無関心ではいられなくなった、ということでしょう。そうなると「反日魔女」がいくら喚いても、どうにもならない。ばい菌に犯される細胞よりもT細胞が異物を包んで排除する力の方が大きくなる。
但し、今後、SF市で使用する高校の教科書に慰安婦の記述が載るそうですし、反日活動の主体が韓国勢から中韓の連合体に移り、その活動のベースがSF市になることは間違いないので、油断はできません。やつらは、忘れた頃にまた騒ぎだすし、アメリカ人にも日本人をむやみに叩きたいドアホは一定数いますからね。
それから、私は慰安婦像よりも碑文の方が問題だと考えていて、これはクマラスワミ報告の分身なので、国連にクマラスワミ報告の撤回または見直しをさせることが重要だと考えています。クマラスワミ報告の撤回または見直しに成功すれば、各地に建つ慰安婦像の碑文は無力化します。
既に、「慰安婦の真実国民運動」の方から、下記サイトに収録した四人を含めて七回、ジュネーブの国連代表部に人を派遣して訴えていますが、今のところ、成功していません。やはり、日本政府が本腰を入れて「ク報告の撤回または見直しを拒むなら国連分担金を払わない」と強談するしかないと思えるのですが、日本の政治はモリカケばかりなので、歯がゆいことしきりです。
http://www.howitzer.jp/korea/page65.html
>シン・スゴ
ああいう人は何処へ行っても不満たらたらで落ち着く先はないと思いますね。故郷がなく父母のいない、根なし草のような不幸な人だと思いますよ。私などは公園を散歩していても、そこにいる人たち全てがいとおしく、この愛すべき故郷を敵に蹂躙されてなるものか、という気持ちになります。だから、北朝鮮などは、さっさと滅ぼしてしまえと思う。
昔、プロレスラーの前田日明(この人も在日朝鮮人)が、シン・スゴを評して「情けない人」と言っていたのが印象的でした。彼がリングを下がった場所で坂田亘に鉄拳制裁をしていた時は、私も「前田って嫌な奴だな。後輩の坂田が逆らえないのが分かっていて殴るなんて」と思っていたのですが、この発言があって彼を見直した。ひょっとすると、あの鉄拳制裁もプロレス特有の悪役を演じる一場面として設定したのかも、と思い直した、
要するに、前田日明にはプロレスラーとして一時代を築いたという誇りがあって、自分を受け入れてくれる場所でプロレス文化を築いているという自負があるから、そうでない人、絶えず文句ばかり言って何も生み出さないシン・スゴを「情けない人」と評したのだ、と私は受取りました。
村田春樹さんの下の講演によると、朝鮮には昔から火田民や大道芸人のように定住する所を持たない「あぶれ者」が多くいて、日本が第一次大戦の好景気で「高度成長」をした大正時代に、そういう人たちがたくさん、日本に住みついたそうです。日本は土地制度の改革で大量の自作農を生み出しましたが、それから漏れてしまった人たちですね。
https://www.youtube.com/watch?v=StBtRu4ojMo
シン・スゴは若い頃からテレビに何度も出演して「私は日本に強制連行された朝鮮人三世」とかほざいて「ヒガイシャの末裔」を演じていましたが、それがウソであることは、すぐに分かりました。片方は朝鮮戦争で国土が滅茶苦茶、かたや高度成長なら日本に難民として押し寄せるのは当然だろ、と思いましたね。
シン・スゴも火田民や大道芸人のような「根なし草」の性分が身に合っているのでしょう。
laughing salesmanさん、
>......ジョージア州ブルックヘブン市での慰安婦碑設置のときも地元住民からけっこう反発があったのですよね。「自分たちが維持費を負担しているのだから余計な物を建てるな」という不動産管理面からの反発の他に、慰安婦問題の本質を理解したうえでの反発の声も多かった....これは新しい動きだと思いました。
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最終的に像撤去を期待したのですが、残念ながらもっと大規模な公園に移設されました。Brookhaven市は人身売買問題を抱えているので、慰安婦問題を市の問題に結び付けることで設置を正当化しています。
「私は慰安婦像よりも碑文の方が問題だと考えていています」は全く同感です。この記事の慰安婦像の脇にボルトで止めた看板風の説明が付いてますが、状況がよく分かりません(一時的なのか常設なのか、いずれにせよ取り外し可能)この説明だけなら何も問題ないのですが、碑に刻まれた文言が問題なのです。
http://jcnsydney-en.blogspot.jp/2018/02/sympathy-for-korean-comfort-women-now.html
看板説明はAtlanta周辺の人身売買の問題提起ですが、慰安婦像の公式刻文は例のごとく「日本軍ガ~、性奴隷ガ~」です。
こちらフィリピン
慰安婦像は台座ごと撤去されたそうです。米国のも同様にショベルカーで引っこ抜いて欲しいです。
フィリピンの大統領は決断すると早いですね。米国は地方の力が強いので大統領の「ツルの一声」ではどうにもならないのが歯がゆいです。laughing salesmanさんのおっしゃる通り、慰安婦像設置は峠を越えたのかもしれません。でも油断は禁物。
https://www.sankei.com/world/news/180428/wor1804280034-n1.html
こちらフィリピン
中国系がフィリピンに設置した慰安婦像がショベルカーで台座ごと撤去されたそうです。
ドウテル大統領は決断が速いですね。米国のも根こそぎ引っこ抜いてほしいですが、あの国は地方が力を持っているので簡単にはいきませんね。
https://www.sankei.com/world/news/180428/wor1804280034-n1.html
フィリピンの慰安婦像の撤去の件ですが、既設の像の撤去は初めてのケースですね。
あれは少女の形をしているが、その本質は、丑三つ時参りの「呪いの藁人形」ですからね。五寸釘を打って、「どうだ、こら、これでもか、ごらぁ」とやられている方は、たまったもんじゃない。
VOODOO教には、布きれで人形を作り、針を刺して相手が傷や病で苦しむように仕向ける「おまじない」があるようですが、あれと何ら変わりません。
フィリピンの慰安婦像の撤去の件ですが、既設の像の撤去は初めてのケースですね。
あれは少女の形をしているが、その本質は、丑三つ時参りの「呪いの藁人形」ですからね。五寸釘を打って、「どうだ、こら、これでもか、ごらぁ」とやられている方は、たまったもんじゃない。
VOODOO教には、布きれで人形を作り、針を刺して相手が傷や病で苦しむように仕向ける「おまじない」があるようですが、あれと何ら変わりません。
中国と日本ではありませんが、植民地と日本に関しての記述として、 Alleyne Ireland の "The New Korea"はいかがでしょうか? 学術書なので読むのは大変ですが、日本の植民地支配の実態に関して客観的で貴重な資料です。
韓国人「日本が植民地に多くのインフラを構築したことが分かる写真をご覧ください」http://www.otonarisoku.com/archives/51966165.html
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