Sunday, December 17, 2017

中国が仕掛ける大情報戦争

The Great Information War from China --

歴史上の中国政府、及び現在の中国政府は 信頼できますか?この質問には全ての人が「否 」、あるいは「もちろん、NO!」と即答するでしょう。
ならばなぜ、そんな信用できない中国が日本について言い立てることを信じるのでしょう?!
これは別に目新しいことではありません。1938年にも同様なことが行われているのに気づいた識者がいました。もちろん中国共産党政府が建国されるよりも10年も前の事です。


The Great Information War from China --
Do you trust the Chinese government to be truthful about today or history?
Practically everyone will answer, "NO."
Or, "NO! Of course not!"
And then turn around and believe everything bad PRC says about Japanese.
This is nothing new. An author in 1938 noticed the same. Of course this was before the PRC formed a decade later.

http://the-japan-news.com/news/article/0004129436


11 comments:

MM said...

NewsWeek 日本版のコロンビア大学特別講義4回のうち一つは「慰安婦について」だそうですが、このキャロル.グレッグという教授は、日本政府がマグロウヒル社の教科書に抗議したときに日本政府を批判した学者たちの有力メンバーで、要注意人物だそうです。

laughing Salesman said...

アメリカ人は支那人の宣伝に弱いですね。すぐに騙される。

蒋介石に入れ込んで、間接的に日本と戦うことになった理由の一つは蒋介石の妻・宋美齢のアメにおける宣伝です。

結局、支那正州を毛沢東の手に渡す羽目に陥ったことは、アメリカの極東政策の大失敗です。

いったい、何人のアメリカ人が、そのことに気づいているのか。

laughing Salesman said...

更に云うと、先の大戦で、「日米戦争が避けられたか?」という命題は、大変に重要な歴史のテーマだと思います。

私の考えでは、1941年の秋(真珠湾攻撃が目前)の段階では、ルーズベルト政権が日本を戦争に引き摺り込む強い意思を持っていたので、もはや戦争は不可避だったと思いますが、1937年の7月、盧溝橋事件が起きたあたりでは、日米の首脳が情勢判断を誤らなければ、戦争回避は可能だったと思います。

その年の冬の上海事変で、タイム・ライフ誌に線路に置き去りにされた幼児が泣いている写真(下記)が掲載されることになったので、これがアメリカ人の対日感情を徹底的に悪くしてしまい、戦争への道が一挙に開かれてしまった。ルーズベルト政権がいくら日本を打倒したくても、一応は民主国家なので、民衆がついてこなければ日米戦争はできなかったと思うのです。ここからは、引き返しが可能かどうか、という状態。

http://www.howitzer.jp/nanking/page05.html

今では、この写真は「やらせ」だったことが分かっているし、1937年の上海事変も、支那軍の側から大兵力で攻撃してきたこと、日本側は盧溝橋事件のすぐ後に通州事件が起きているので、揚子江を下って上海の日本租界に逃げてくる邦人居留民の保護のために陸海空軍をどんどん送り込まざるを得なくなって日支の衝突になったことが分かっているけれども、1970年代あたりまでは、日本側か一方的に「侵略戦争」を仕掛けたというプロパガンダが日本のマスコミ・教育界でも行われたので、今でも65才以上の団塊の世代では、この事実を知らない人が多い。アメリカは東京裁判史観にどっぷり浸かり、そこから一歩も出ようとしない人が大半だから、なおさら、日支事変は日本の「侵略戦争」だと思っている人が多いはず。

満州事変と日支事変を日本の「侵略戦争」と捉えた瞬間に、真珠湾攻撃から1945年8月15日のポツダム宣言受諾を伝える玉音放送にいたる日米戦争の起因と過程は分からなくなる。

アメリカ人も日本人も、先の大戦の真の勝者はスターリンのソ連、日本もアメリカも、スターリンと蒋介石にいっぱい喰わされた負け組だ、という観点に立てない限り、日米戦争の本当の姿は見えてこないはず。

そして、「日米戦争が避けられたか?」という命題に対して、歴史の検証に裏付けされた明快な答えが得られない限り、きたるべき日米安保vs.支那共産党の第四次世界大戦(新・冷戦)に勝利できる見込みはないと思います。

laughing Salesman said...

上記の私の記述を分かり易くするために、付記します。

あの大戦の前後でソ連のスターリンが何を考えていたか。これは物凄く重要なテーマですが、恐らく、これを扱っている日本の研究者は江崎道朗氏一人しかいない。

私もまだ研究の途中なので、まだ仮説としてしか言えないのですが、1)スターリンが1935年あたりにナチス・ドイツのソ連侵攻を予見できていれば(それは十分に予見可能だったはず)、2)その前に満州国から来る日本の脅威を除去して、二正面作戦を避けようとしたはずなので、3)国民党軍を動かして日本を攻撃させ、支那大陸に日本を釘付けにする作戦を考えたはず。

この仮説の傍証が、1936年の11月に締結された日独防共協定と、同年12月に発生した西安事件を境に、蒋介石の国民党軍がその矛先を共産党軍に向けるのではなく、日本に向けるようになったこと、の2つ。

1941年6月に始まるバルバロッサ作戦は、モスクワの手前で冬を迎え、前線が伸びきって冬将軍に苦戦を強いられているところに、冬季の軍事行動が可能なシベリア軍部隊(満州に備えていた部隊)の増援を受けたソ連軍の大反撃を受けてドイツ軍主力は壊滅状態になる。

シベリア軍部隊を満州付近からシベリア鉄道でモスクワ救援に向かわせることが可能だったのは、日本軍が支那大陸.の泥沼に足を取られていたからですよ。つまり、歴史の時系列を遡って観察すれば、盧溝橋事件から上海事変、南京陥落、徐州作戦、漢口占領、重慶爆撃まで、これみな、スターリンの意を受けた蒋介石の国民党軍の仕業であり、日本はまんまとその罠にはまった、と言える。

西安事件は第二次国共合作の契機になった事件なので、「支那人が一致団結して外敵である日本軍と戦うことになった」として、張学良による「兵諌」や美談として語られてきたので、この大きな構図が見えなかった。いや、むしろ、日本人にこの構図が見えないように意図的なプロパガンダが、中央公論社や岩波書店、朝日新聞やNHKを通して行われてきた、と言ってもいい。なぜなら、1960年代の安保闘争世代のうち幾らかはマスコミ・教育界に就職して、ソ連・中共シンパのペンをふるったはずだからだ。

上記の戦略的構図につき自信をもって云うには、まだ事件の時間的関係性や要人の発言など、肉付けとなる検証が必要なので、今はまだ「仮説」としておきますが、おそらく、仮説の大意について誤りはないものと思う。

故・渡辺昇一氏が「ウソで塗り固められた昭和史」とおっしゃっておられたが、そのウソを自分の世代で完全に剥がしておくのは、今の時代を生きる私の義務だと思っています。

mc^2 said...

八十周年を記念した(?)独ヴェルト紙の記事。「閲覧注意」ものです。筆者のベルトルト・ゼーヴァルト(Berthold Seewald)氏はチーフエディター(?)、機械翻訳ツラいとこですがプロパガンダ写真満載、内容推して知るべし。

コメント欄も、こんにちの日本を見ると信じ難い、英米などの行為はどうだったのかといった程度の指摘はあるが、記事の内容に疑問を抱くであろうはずもなく。見下した態度にもウンザリさせられる。こちらの上に書かれているコメントのような視点など思いもよらぬことでしょう。

Nanking 1937: Sie zwangen Väter, ihre Töchter zu vergewaltigen - WELT
https://www.welt.de/geschichte/zweiter-weltkrieg/article171539742/Warum-japanische-Soldaten-Hunderttausende-Chinesen-massakrierten.html

Anonymous said...

日本は遺体などの残酷な写真をテレビ新聞は報道しませんが
外国では平気に掲載しますよね。
間違った写真を使うのはやめてほしいです。
中国韓国の移民が世界中で増えてるから
今後警戒です。
日本側がネットで過去の写真を公開してほしいです。

(*╹▽╹*) said...

文科省のゆとり教育推進者と、加計問題の推進者、在日エリート新学校の設立者たちは繋がっているらしいですね。
その人たちが、高大連携歴史教育研究会として日本の歴史教科書の内容をプロパガンダに変え、日本の偉人たちや皇室制度を抹消しようとしている。
大学入試のセンター試験制度の廃止もそれの流れかもしれない。どう考えても非合理的でおかしいし忖度が可能な入試制度だから。

日教組の組合費を給与明細書に出すことになったのは安倍政権かららしいですが、
それだけでは左翼勢力による子供の思想教育、愚人化計画を阻止するのに間に合わないのかもしれない。
官公庁や司法、あらゆるところにそういう人たちがいて、税金も適切に日本人のために使われず、恐ろしい世の中になりました。

あちら系の携帯会社、省庁と絡んで事業を展開してたので、収支が不明のまま潰すこともできず、肥大化を続ける。
金で取り入り、どっぷり浸かって後戻りできなくさせるのは、中国のドラマにもよくある話で、
日本でもそのように汚染されているところが多いのだろう。
アメリカやヨーロッパでももうそうなっているかもしれない。

(*╹▽╹*) said...
This comment has been removed by the author.
laughing Salesman said...

追記です。先に、

「1)スターリンが1935年あたりにナチス・ドイツのソ連侵攻を予見できていれば(それは十分に予見可能だったはず)」

と書きました。これは、その後の仮説の大前提になることなので、極めて重要です。

たまたま、「平和はいかに失われたか」という本を読んでいたところ、「1935年(昭10)には、ほとんどの列強はアジアで戦争をする気はなかった。英国やその他のヨーロッパ諸国は、ドイツの動きを極度に警戒しており、自分の本国を防衛するのが精いっぱいだった。」(p42)という文章が出てきました。

念のため、その頃のナチス・ドイツの状況を大づかみで調べると、

1933年 ヒトラー、ドイツ国首相となる。
1935年 ヒトラー、首相、大統領、国家元首を兼ねた総統となり、名実ともにドイツの独支者となる。

という事実があります。ヒトラーの「わが闘争」は1925年の出版で、その中でヒトラーはソ連を征服して「東方生存圏」を築くという野望を述べているわけですから、別にスパイなど送り込まなくても、1935年の時点でスターリンがあせるのは当然ですね。

日本のシベリア出兵は1918年(大正7)で、この時はイルクーツクあたりまで兵隊を出しています。ちなみに、満州事変は1931年、この時から満州はただの原野から複数の大都市が鉄道で結ばれる近代国家へと高度成長していきます。

その要因の最たるものは、張作霖・張学良親子が牛耳る軍閥の打倒であることは間違いありません。なにせ、連中は親子とも支那大陸の覇者になることを夢見て、過酷な税を取り立て、その80%も「張軍」の軍備拡張のために蕩尽していたというのですから、その税を満鉄沿線の都市開発や石炭・鉄鉱山の開発に投下できるようになったことが大きい。「張軍」とは馬賊出身の張作霖が作り上げた私兵ですよ。博徒から御用金の盗賊になり代官所まで襲って「国定王国」を作った国定忠治一家のばかでかいようなものだ。

そいつらを打倒して自動車も作れる近代国家に仕立て上げたことを、戦後の地図を持ち出して「侵略」と呼ぶから大きな勘違いが起きる。パナマ侵攻のことを考えたら、アメリカが満州事変を批判できるはずがない。張作霖をノリエガ、張学良をカストロに置き換えてみると、アメリカは張作霖爆殺、満州事変とそっくりのことを戦後に中南米でやっている。

とまれ、1935年の時点で、西からドイツ、東から日本という二大反共国家が挟み撃ちをしたら、ウラル山脈付近を境にソ連という国家は分断されて滅亡の浮き目に合う、という危機感をスターリンが感じたことは想像に難くないですねえ。その後の時系列は言わずもがなでしょう。

laughing Salesman said...

マイケル・ヨン氏は、”FDR goaded Japan into War”というYoutube動画を見ているだろうか。動画の中で引用されているLIFE誌のデータも添えてまとめてみましたので、参考にしてほしい。

FDR goaded Japan into War
http://www.howitzer.jp/topics/page01.html

==
For a long time the official explanation of Pearl Harbor was that we were slugged without warning when we were innocently going about our business. Slugged we were, and there is no need to palliate the Japanese behavior. But to say that we were slugged without warning is a radical distortion of the truth; Roosevelt, the Chief Executive of the nation and Commander in Chief of its Army and Navy, knew in advance that the Japanese were going to attack us. There is even ground for suspicion that he elected to bring the crisis to a head when it came.
(LIFE magazine, Sept.24 1945 edition, p110)
==

Unknown said...

ソ連がアメリカ民主党政権の傀儡国家であったことを見逃してはいけない。ロシア革命を周到綿密に画策したのはロンドンとニューヨークの銀行家たちである。1917年のロシア革命が起きたのはウィルソン民主党政権の時であり、ウィルソンはウォール街の銀行家たちの利益を代表する隠れシオニスト・ユダヤ人だった。1933年にウィルソンの子分で隠れシオニスト・ユダヤ人であったフランクリン・ルーズベルトは大統領就任式で世界中の国々の中で最初にソ連を国家として承認した。ソ連は戦後独自の暴走を始めるように進化したが、当時のソ連がアメリカ民主党政権の傀儡国家であったことは、以下の報告から明白である。

ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し訓練も 1945年8、9月
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154416

 【根室】1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。
 振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
 米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。

ロックフェラーと共産主義の関係
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7073/kyousanntouennjyo.htm
Wall Street and the Bolshevik Revolution -- Professor Antony Sutton
https://www.youtube.com/watch?v=RD_cJXOjYl8
https://www.voltairenet.org/IMG/pdf/Sutton_Wall_Street_and_the_bolshevik_revolution-5.pdf
SUTTON'S RESEARCH REVEALS:
• The role of J. P. (Pontifex Maximus) Morgan banking executives in funneling illegal Bolshevik gold into the U.S.
• How the American Red Cross was coopted by powerful forces on Wall Street.
• Wall Streeters who intervened to free Leon Trotsky, even though Trotsky's stated aim was to engineer "the real revolution"—the Soviet coup which toppled Kerensky.
• The deals made by major corporations to capture the huge Russian market a decade and a half before the U.S. recognized the Soviet regime.
• The "closet socialism" of leading businessmen who paraded publicly as champions of free enterprise.
http://www.reformation.org/wall-st-bolshevik-rev.html